ツァラトゥストラ

 クツクボウシが鳴きはじめた。


 咲き始めの早かったであろうムクゲの木は、すべての花を落としてしまった。

 その隣にまだ濃い緑の葉だけを見せる金木犀に、あの甘い香りの季節を思ったりする。


 そんな時に、ワタシが読んでいるのはこれ。

  
ツァラトゥストラ〈上〉 (光文社古典新訳文庫)ツァラトゥストラ〈上〉 (光文社古典新訳文庫)
(2010/11/11)
フリードリヒ ニーチェ

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 先日珍しくなんとなく考えていることがあり、その日の夜に見た教育テレビでニーチェのツァラトゥストラの読み解きをやっていた。

 その話がちょうど自分が考えていたこととちょっとばかしリンクすることがあって、さっそく借りてきたというわけだ。(季節とは何の関係もないというわけ)


 しかし、この本を読むのは初めてではない。

 何十年前に師匠と出合ったばかりのときに、「これを音読せよ」と言われ、師匠のお宅の横を流れる小川に足を浸しながら、いっぱいの緑とせせらぎの音の中、一人音読したのだった。

 冒頭の部分だけであったが。 
 
 そんな思い出深い本でもある。


 しかし、あの小川音読のときも「わけがわからない」という感じだったが、歳とった今読んでも、それがあまり変わらないのが残念だ。

 読んでると、気が遠くなるというより、頭が遠くなるという感じ。ニーチェの比喩攻撃についてゆけない。

 でも、読むのが苦痛ではない。脳みそ遠くしながら、つらつら読んでしまう。

 ちょっと分かりそうな所は、ゆっくり読んでみたりするのだが、ちょっと行くとまた比喩比喩。

 ワタシの弱小頭脳と、未熟な精神では、理解するのがもう大変。というか、わからない。

 これで大人だといえるのか。


 しかしこの、ツァラトゥストラという名前自体変わっていて、なんか意味ありげだけど・・・と思っていたら、それはペルシア人の名前だということはわかった。


 時間を空けてであるがもうけっこう読んでいる気がするのだが、まだ半分行くかいかないか。

 字が多いわけではないのに。不思議だ。
 
 

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isoginchaku

Author:isoginchaku
名古屋市緑区在住。たった一人の弁当屋。
只今休業中。

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