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ついついなもの

 るとついつい食べてしまうもの。


 それは、ソーセージ。

 これは、最近わかったこと。


 
 ワタシにはソーセージを食べる習慣が今までなかった。

 食べたことがなかったわけではないが、幼い頃から、「ソーセージが家にある」という状況があまりなかった気がする。

 しかも、特別好きな食べ物でもないので、大人になってからもわざわざ買って食べることもなかった。


 しかし、である。

 こないだスーパーに行ったら、なんとなくソーセージが目に付いて、その4本束で2百円くらいのやつを買ってしまった。


 買ってから何日間かは、4本のソーセージは見向きもされずに篭の中にほっておかれた。


 その何日目かの夕食後、「なんかまだお腹が満たされない」と、ほぼ毎晩恒例のつぶやきをもらしつつ台所に入ったワタシの目に付いたのは、ソーセージであった。


 そして、同じことがその後3日、繰り返されることとなる。



 ソーセージを切らしたワタシは、再び買った。

 
 今度は4本を続けて毎日食べることにはならなかったが(一日置く日が2度あった)、ソーセージはあると食べてしまうということに、ワタシは気づいた。


 あると食べてしまう。

 食べてしまうが、とくべつ好きではない。

 でもあると食べてしまう。

 食べてしまうが、やっぱり好きではない。

 でもあると、、、、

 


 ソーセージは、ビニール皮をむいて、その一本状態のをそのまま食べるのが一番よい。

 (注:おいしくないソーセージはダメである。ワタシよりソーセージについて詳しいセロリ師匠によると、丸善だったかマルハだったかのソーセージがよいということ。でもそれは、スーパーではなかなかお目にかかれない。先日コンビニで見つけた。1本百円位の高級ソーセージである)


 ソーセージを適宜カットして、野菜炒めやサラダに加えるというのも聞かれるが、それも自分でやってみて、「ちがう」とわかった。

 野菜炒めやサラダにソーセージを入れると、それは「どうしたって肉の代用品」または「うすらざむいにぎやかし」という雰囲気がいやおうなく漂ってしまう。

 野菜と混ざり合ったソーセージにも、それを作って食べている自分にも釈然としない、納得いかない、という気持ちになってしまうのだ。


 ソーセージはビニル皮をむきながら、その”一本”を齧るのがいい。

 
 塩味を強く感じたり、栄養のことをふと考えたときは、冷蔵庫から胡瓜を取り出し、サッと洗って一緒に齧ってみる。これもいい。


 ソーセージは大概左手に持つものだが、ソーセージと胡瓜をかわりばんこに左手に持って齧る。

 または、ソーセージを左手、胡瓜を右手に持って、交互に齧る。

 それとも、ソーセージも胡瓜も左手に無理やり持って、同時に両方齧るという方法もある。



 ずいぶん長くソーセージのことを書いてしまったが、やっぱりワタシは、ソーセージは特別好きではない。


 


 

 




 

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isoginchaku

Author:isoginchaku
名古屋市緑区在住。たった一人の弁当屋。
只今休業中。

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