眠れない夜が過ぎれば、よく眠れる。
昨夜いつもと同じように9時過ぎには布団に入り、トイレに起きて時計を見たら6時10分を示していた。「朝だ」小さく声に出るほどに驚きうれしくもあった。夜中一度も起きなかったのは何か月ぶりか。
9時に布団に入ってしばらく本を読むのは毎日だが、ここの所は空気が冷えるので、腕カバーをする。手首が冷えると快適な読書は望めない。
浅田次郎を初めて読む。『地下鉄(メトロ)に乗って』という確か映画にもなっていたと思うが、吉川英治文学新人賞を取っていた。自分にはあまりピンと来なかったので、流して読み終える。こないだ読んだ東野圭吾の『新参者』がわりと面白く読めたので同じ主人公のシリーズのを手に取ったが、同じほどには愉しめない。作家という人はいろんな話を作り出すなあとは、いずれにも感心する。
洗濯物を終えて朝食を取っている間、お日様がちょうど向かいのマンションに隠れて部屋が暗くなり温度が下がる。
靴下3枚履いた足元が冷えるので思いついて腕カバーを装着してみた。
腕カバーは足首保温にも効果あり。
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この2,3日、夜中に起きて再び眠りに入るのにつまづいている。
もともと夜中だいたい1時くらいに1度トイレに起きるのだが、いつもだとまたすぐに寝入ってしまう。
それができない。
本を読んでも、英会話のテープを小さな音量で聴いても、あたたかい牛乳を飲んでもだめだ。
昨夜もすべてやったがダメで、しかもトイレに3回も行った。特別水分を摂りすぎたとか夜コーヒーを飲んだとかでもないのだが。
まあでも、翌日も翌々日もその後しばらくもなんの予定もないし、最初に寝入って2時間は眠っている。まあいいか。
子どもの頃は8時に布団に入り、朝までずーっと深く眠れた。オネショをした時はさすがに起きるが、その後再びちゃんと眠ったように思う。
子どもといえば、こないだすれ違った小学校低学年くらいの男の子が大きい声で、「ああーうれしいなあー。ぼく、ほんとにうれしいなあー」と、ほんとうにわざとらしいほどハッキリと声に出していた。
ほんとうにわざとらしいくらいだったが、子どもだからそれほどはっきりと声に出したいくらいにほんとうなんだろうなあと思って見送った。
今度自分に嬉しいことが起こったら、あんなふうにはっきり声に出して言ってみようかな。
午後13時。
店で買い物を済ませて表に出ると、車通りの多い2車線の道路を、向こうから若者が自転車に乗ってきた。
白っぽい普通の自転車。
服装も白っぽいものを着用した痩せ型で小柄なその若者は、歩道でなく車道を、かなりの前かがみになりかなりのスピードでやってきた。
そしてわたしの目の前を通り過ぎるとき、左手を後方に挙げた。その手には、細い棒が握られていた。
若者は、鞭を表すその棒を、上下に2,3度大きく振った。
若者は、サラブレッドに乗っているのだ。
まっすぐゴール(前方)を見つめているはずの騎手(若者)と、一瞬目が合ったような気がした。
観客の視線に気を削がれているようでは、一着にはなれなかったかもしれない。
クリスマスは有馬記念だった。
10月半ばから始まったバイトが昨日で終わった。
女性中心に大勢の従業員がいるところで、珍しくいいひとばかりの職場だったのはしあわせだった。
良い悪いは関係なく、こんな人もいるんだなあと知ることもできた。
ある50代後半に入る女性、若く見えるがすでに小学生の孫がいるこの方は、とにかくずーっと独り言を喋っている。
こちらが近くにいるときは、もしかして何か反応を求めているのかな?と思ったりしたが、周りに誰の姿もなく私がいるというのもきっと全くわかっていない状況でも、「えーっと・・・だからこれじゃダメじゃん。で、これはどうするって?」というような感じで、際限なく一人で喋っていた。
この奥さんは優しい人でもあり、私ともう一人バイトの娘に、おいしいまんじゅうの差し入れをしてくれたりした。
もう一人の人は凄い潔癖症である、という女性。40代。
トイレで会うと、手を洗う時間がものすごく長い。私が入る時に既に泡に包まれた両手をごしごしやっていて、私が普通に用をたして出るとまだアワアワでごしごしの最中という具合。その人の家の中は、消毒・塩素のにおいが満ちているらしい。
この人は、誰かが手作りで持ってきた差し入れには、絶対に手を出さない。また、一度お昼がいっしょになった時、袋入りのパンをその人は食べていたのだが、パンには絶対に手を付けず箸を使って食べていた。己の手すら信用ならないということか。
この人に会って挨拶する時、ハッキリ笑顔で応えてくれるのだが、その笑顔がなんかうそ臭いと、わたしには感じられたのだが何故だろう。返事のタイミングが若干速すぎるからだけだろうか。
失敗はちょこちょこあったがとにかく無事に満了できたので、ゆうべは多めにワインを飲みました。
12月に入ってから、レデイGを二回見かけた。
レデイG,女装のおじいさま。
一度はちょっぴりスポーテイな雰囲気も感じられるもので、一度はもっと落ち着いた感じだった。
二回とも全体的にグレーを基調としており、ニットの帽子やバッグ、タイツなどに赤やピンクや深い緑をきかせていた。
足元は巷の娘や奥さん方がよく履いている感じのあったかブーツみたいなので、もう一度はヒールのある茶色のショートブーツだった。
レデイGの冬バージョンの様子は、一目で女装している男性とはわからない感じだ。
スカートではないし、夏のように耳に光るものも見えないし、夏のようないかにも女性の衣服とういようなキラキラしたものは着ておられないから。
冬のレデイGはシックで、かわらずオシャレを愉しんでいる。
そして、おみ足に自信がおありなのだ。
寒い日は腰も冷える。
そんなとき、あなたがもしジャージを履いていたら、試していただきたい。
そのジャージをうしろまえに履いてみてください。
普通に履くと、腹側にくるポケットが腰の方に来ます。腰側が厚くなるのです。腰が少しぬくくなるのがわかると、少し笑顔にもなります。
そして、ジャージをうしろまえに履いているのを見て、気にする人はいません。
ツナ缶を食べることは、多くないと思う。
一年に、5缶くらいだろうか。大きいものではなく薄い小ぶりの缶の方を。
ツナが好きではない訳ではないのだが、ツナを入れるとたいがいまったくツナの味になってしまうのが好みではない。
それが、なぜかしらこの何日か前から「ツナを入れたい」波が来た。思い浮かぶ限り、大人になって初めての種類の波だ。
ツナ缶はもうずっと自分で買っていないのだが、時々母が送ってくれる荷物の中に隙間を埋めるためとして入れてくれてある。それが4缶あった。
まず、冷凍してあったおからを解凍してレンジ加熱し、そこへツナ缶を油汁ごと混ぜ込んだ。冷蔵庫にあった人参や玉ねぎなどを塩もみして入れ、残っていた茹でブロッコリーを入れ、マヨネーズ、自家製ドレッシング、ヨーグルトも少し、粗挽きマスタード、そして胡瓜が無かったのでさっぱり感を加えるために小さく切った林檎を入れ、サラダにした。
次は・・・と考えて、ツナカレーを思いついた。
あの懐かしい給食の味だ。
肉でなくツナだから、野菜類も小さ目に切るといいだろう。きっと時短カレーだ。
カレールウは使わないしゃびしゃびカレーが自分のいつものやり方で、それがツナカレーに合うかどうか。とにかく作ってみよう。
サツマイモが余っている。検索したら玉ねぎとツナと水で煮るというレシピがあった。これは作ってみようかちょっと迷う。
芋焼酎のつまみに焼き干しイモ。ほんのり焦げ目が美味しい。甘味がまし香ばしさが加わる。しかしこれは写真の時点からさらに加熱してしまったためちょっと焼き過ぎた。冷めたところを齧ったらかなり固くなっていた。ニッチャニッチャと顎を鍛えるように噛んでいたら、奥歯の詰め物が取れてしまった。
歩くわたしの前を、尾の短い小太りの猫がこちらには一瞥もせずタタタと横切って行った。
黒猫だった。
少し行ったところに、今どきの密集建売住宅一軒が建つほどの広さに一面芝生が植わっており、そこにはただ、手作り風の短くはない年月を思わせる犬小屋があった。
その脇に真っ黒い塊があった。
黒い犬だった。
顔はまったく見えずこちらに尻を向けるようにして丸まっていた。ピクリとも動かないので死んでいるかと思った。
また少し歩くと、緑色のパーカーをフードを被るように着た背の高い男子小学生が向こうから来た。
緑色のフードの下には緑色のキャップのひさしが見えた。
そしてひさしの下は、のっぺらぼうだった。
真っ黒いのっぺらぼうだった。
目も鼻も口もない。
すれ違うあいだ、ずっとしっかり見つめてしまった。
黒いのっぺらぼうは、パーカーのポケットに両手をつっ込んで、ただまっすぐに歩いて行った。
今年もあと半月というのがいつになく信じられない気持ちだ。
今年は何をしたでもなかった、という思いがあるからだろうか。ただ腰痛の年だった。
しかしだから、海外ミステリーに手を出し、川柳や短いエッセイのコンテストに応募してみたりした。
コンテストは悉く落選し残念ではあるが、少しでも頭を使ったのは良かった。
エッセイコンテストは、選考委員の好みに合うかというのが結構大きいのではないかと受賞作を読んで思ったりしたが、川柳は、「うまいなあ」と感心させられた。
”いい夫婦の日川柳コンテスト”なんてのにも、独り身でありながら親や周りの夫婦を思い出しながら作り応募してみたが、やっぱり実体験の面白さや、そういう言葉が出るか~というのにはかなわない。
今日も寒くて風が強い。
冷蔵庫に残っていた白菜を干すのに好適だ。
いそいでそうしよう。
弁当屋を休業しているが何かしないと食べていけないので、少しアルバイトをしている。
それは受付の仕事なのだが、お客さんは老人が多い。
時間のある老人は、お喋りが好きな人が多い。わりと暇な職場なので、話好きそうなお客さんとは30分もお喋りすることもある。
特に面白いわけではない話でも、一回こっきり聞くだけであり初めて聞く話なわけで、退屈することはない。自分が元々話を聞くのは嫌いではないというのもよかった。
だから、だらだらした話でもそれほど苦痛ではないのだが、時々「う!」となってしまうのは、お客さんから届く口臭だ。
口臭はくさい。
決まって臭い。
そして臭い中にもいろいろある。
歯周病からくる口臭は、口の中で何かが腐敗してしまったような臭いと思う。
胃が悪い人の口臭も、なんとなくわかる。
今年二人の老人から経験したのは、ゲロの臭いの口臭だった。ゲロになるのは何が理由なのだろう。発生元はお爺さんとお婆さん。
その二人とも結構長く喋ったので、かなりキビシイ時間であった。しかし二人ともいいひとだった。気持ちにゆとりのある人だった。
怒りモードやすぐにイライラするじじばばもいる。(主にじじ)
ゲロ臭はほんとにゴメンナサイという感じだが、軍配はその”人”により上がる、かなあ。
時どき「あ・・・」という感じでわるくなるものの、腰の痛みは徐々に良くなっている。
腰痛には適度に歩くのが良いとされている。
調子いいからよーし、と思ってわりと急な坂道を歩いたりすると、翌日「あ、おかしい」というふうに痛みが起こったりする。
腰痛に関する情報も世に溢れているが、その時の自分の身体に合う方法を見つけることが大事。
歩くのにもインターバルウオーキング(速く歩いたりゆっくり歩いたりを交互に)がいいと知ってやると、今の自分には合っていなかったりする。
今朝は雨上がりだからか暖かさを感じながらゆっくり歩いた。
住宅街の中にも感じられる柑橘類の季節。
たわわという言葉が実にぴったりくるミカンや八朔?の木々。あんなにいっぱい、あんなに重そうに細い枝からぶら下がっていてよく落ちないものだ。
暖かい冬の朝は、そんなことを思いながら気持ち良くのんびり歩ける。
口から出てきたのは童謡「かくれんぼ」。
冷えます。
一晩浸けておいた昆布だしを温め、鰹節を入れ、香りが立ったところでどんぶりに濾す。
ふぁ~と白く立った湯気を見たら、身体の芯のほうがゆるんだように感じられました。
寒さに身体が縮こまりますが、気持ちも知らぬうちに縮こまっているのかもしれません。
寒くなってきたので。生姜の消費が多くなってきました。
ハチミツに漬けた生姜をお湯に入れて、朝飲みます。
夕食は鍋物が多くなり、ほぼ毎回生姜が入ります。厚めにスライスした生姜を入れて、それは臭み消しの役割を担っているわけですがそれも食べてしまいます。
夕食には焼酎のお湯割り。貧血に効き血の巡りをよくすると聞き、クコの実を点けてほんのり赤味がついた芋焼酎を毎晩小ぶりの湯飲みに飲みます。赤味だけでなく苦味と甘味も加わっています。
黄色い帽子を被ったちいさいおじさんと、大型犬ゴールデンレトリーバーのももたろう。
二人のコンビの姿が消えてしまった。
先日しばらくぶりに散歩に出た時、ちいさいおじさんの歩く姿が見えた。おじさんの隣には、おじさんより小柄なご婦人がいた。
ももたろうに会うよりもかなり遅めの朝だったので、それでかなあとも思ったのだが。
今日再び、小さいおじさんの隣には、小さいおばさんが歩いていた。
歳取ったももたろうは歩けなくなってしまったか、天国へ旅立ったか。
小さいおじさんの愛情満ちた眼差しはもう見られなくなってしまったが、おじさんとおばさんは、何かしら喋りながら歩いていたから、勝手に少し安心した。小さいおじさんは、ももたろうより後ろを歩いていたが、おばさんとは前を歩く。ズボンのポケットに両手をつっ込み少し前かがみで歩く。
小さいおじさんと暮らしたももたろうは、この世でも天国にちかいところにいたんじゃないかな。