秋刀魚をたべる


 ハッとするほどよいお通じがあった。

 思うにこの数年の間のベスト1だった。

 ストレスが無いのは春からずっとで、運動も特別していないからやはり食べ物が効いているのだろうか。

 サツマイモをここのところ食べていた。昼か夜に食べる。
 キノコ(主にしめじとえのき)をよく食べている。ただ炒めたり味噌汁やスパゲッテイに入れる。フライパンに入れるとき、「なんかやけに多いな」と思うくらいに入れる。出来上がりはちょうど良い量になっている。
 切り干し大根も前よりよく食べるようになった。煮たものが好きだったが、暑い夏からは水で戻してはりはり漬けで食べている。味付けはポン酢+胡麻か味噌+みりん+酢。味噌味が好きだ。ピーマンも味噌煮にして美味しかった。味噌味が美味しく思うって、なんとなく年寄りっぽい。

 大根おろしも二日に一度は食べている。これも腸に効くと言われるものだ。
 だいたい、納豆と甘い梅干しをちょっと混ぜて食べる。飽きない。
 これを食べるために週一回大根を買うのだが、今週はもう一つ、これのためでもあった。

   さんま

 秋刀魚は今年は高値だと言われていたが、そろそろ落ち着いてきたように見える。今日立ち寄ったスーパーではちゃんと100円で売られていた。大きさも良かった。わたしが買ったのはそれよりやや高かったが、それだけ美味しかったのだと思っている。

 今までガスコンロについている魚焼きグリルで焼いていたのだが、今回フライパンで焼いてみた。
 料理本なんかには、フライパンで焼くときに油をひいてと書かれているものがあるが、油無しでクッキングシートを敷いた。クッキングシートは優れもの。燃えないし、油要らないし、ちゃんと食材に美味しそうな焼き目は付けてくれる。(ただしグリルの中で使うと燃える)
 秋刀魚と一緒にピーマンと大ぶりのシメジも入れた。蓋をするのを迷ったが、ワタまで食べたかったしピーマンは丸ごとだったので、少しだけずらして乗せた。
 結果、でき上がりにハナマルを付けた。
 まず見た目。脂が焼けて黄金色だ。それを見てビールを飲むことにする。
 カリっとした皮が食べたい方にはちょっとやわらかいだろうが、秋刀魚の香ばしさはしっかり味わえた。それに身がグリルよりも柔らかくなっているので箸ですっと取れる。秋刀魚美味い!野菜もいい。ビールがあってシアワセだ!
 
 ああそして、クッキングシートのなにより良いのは、フライパンを洗わなくて良いのだ!まったく汚れなし!

 秋刀魚といっしょに大量の大根おろしを食した。
 自分の体臭がこれによって変わるかもしれないと思うが(大根の臭いってけっこう強い)、誰とも会わないから自分ではわからない。


 

虫たち


  朝焼け

 二日前の朝。
 実際の色は写真よりもっと赤が強かった。だから思わず写真を撮ったのだが。
 夕焼けというのは香ばしい感じ。朝焼けに感じる湿度は、雨の前ぶれだからか、朝残る夜露のせいだろうか。


  白い蛾

 散歩に出ようと玄関を出たら、ドアに白い蛾がへばりついていた。蝶だと「とまる」だが、蛾なので「へばりつく」になってしまう。
 へばりついた蛾はしかし、白くて、小さくて、羽が閉じ気味だからか、ちょっと愛らしく思えた。幸せの使いかもしれない、とまで勝手にいいように思い込んでみたりする。羽がキュートなマントのように見えてくる。
 
 二日晴天が続いた。
 カメムシの出没。しかもデカいのだが、これは名古屋サイズなのだろうか。
 干した布団を取りこむときに注意しなければならないのだが、つい忘れてしまい、布団の裏側にくっついていた奴らもろとも部屋の中に入れてしまうのだ。しばらくすると、ベッドの隅っこ等をごそごそ歩いている。要らない紙で外に追い出すように払ったら、飛んだのでびっくりした。カメムシの飛ぶ音は蝉のそれとそっくりだった。

 ショウジョウバエはやはり消えない。なんとなく増えてきた感じもする。
 相変わらずわたしの顔が好きだ。非常にうっとうしい。もう我慢しないことにした。
 飛び回るやつは、積極的にはたく、つぶす。
 壁に止まっている者は、しずかにそこにとどまっている内は、そのままにしておいてやる。しかし、止まっていても二匹近い所にいたらば潰します。交尾するかもしれないから。
 冷蔵庫の中の死体は、テイッシュでふき取っていたが、今はもう指で拭うように取っている。これができるのはコバエのいいところだ。
 コバエトラップ(めんつゆの)は効果が見えない。
 もっと寒くなったら自然消滅するだろうか。


 白い幸せの使いは、その日一日中家のドアに止まっていたが、特別良いことは起こらずに終わった。
 しかし、使いかもと思うことが良かったかもしれない。



 

使いよう


 ミキサーのゴムパッキンを紛失し、使用時に部品の境目から液体が飛び出ることを以前書いたが、解決策が見つかった。
 パッキンを新しく買うという正統的な手段でなく。

 この問題を解決に導きわたしを喜ばせてくれたのは、パンツのゴムです。

 今時、パンツのゴムを家に常備している人はどれくらいいるだろうか。子どもがいれば工作とかに使うとかで持っているかもしれない。わたしは子どももいないのに持っている。グンゼのデカパンを履くからだ。

 グンゼパンツ、グンパンのゴムがしょうがなくなってゆるゆるになってしまったので新しいのに変えた。
 引き抜いた古いパンツゴムを見ていたら、ハッときた。これ、あれに使えるのでは。

 朝、バナナジュースを飲むことにした。
 一応未使用のパンツゴムを適当に切って、ミキサーの土台のパッキンが入るはずの溝にくるくると置いてみた。静かにガラス部分を置きゆっくり締める。バナナと少量の豆乳をまず入れて、”入”ボタンを押す。
 「オオッ!」となった。全く漏れてない。もう少し豆乳を足して回す。漏れない!It works!!
 にんまりとしてバナナジュースを飲む。
 パンツゴムに感謝。そして思いついた自分自身に、やったねと思う。

 
 しかしさらに翌日またジュースを作った所、豆乳が少しではあるがにじみ出てきた。
 パンツゴムのセッテイングを慎重にしなければならないか。



 

晴れて布団が干せた


 天気予報はハズレ。
 今日は久しぶりの快晴、暑さも少し戻った。
 
 紅葉し始めたモミジがある。
 新しめの個人住宅は緑がまったくない殺風景な家も多いが、そんな中に、まだ細く大きくなっていないモミジが前庭にあり、葉のいくつかが紅くなっているようなのを見ると、いいなと思ったりする。


 夜中に必ず一度はトイレに起きるのだが、そこから再眠できない時がある。無駄に何かを考え始めてしまったりする。
 そういう時にはラジオを点ける、仕方なく。ラジオを聴きはじめると余計に眠れなくなるのだが、長くて2時間経てば、いつの間にか寝ている。
 昨夜というか今朝三時前にも眠れなくなったのでラジオを点けたら、夕焼けソング特集をやっていた。「夕焼け小焼け」などの童謡から始まり千昌男の「夕焼雲」や歌謡曲などが続いたが、三橋美智也の歌が結構良かった。もうどんな歌だったか覚えてないのだが、「ほほいのほい」といった感じの歌詞が良かった。
 「おやまあ」とか「おまいさん」とかいう言葉が好きだ。


    べたカロ蒸し

 これは夕食の一品。
 「魚柄流」に紹介されていた、”ベタカロ鍋”だ。何でもいいので手持ちの野菜をフライパンで蒸して、いい所でチーズをばらまき、溶けたら出来上がりというものだ。紹介されていた材料と同じように、南瓜とサツマイモを使った。加えて、シメジ、玉ねぎ、キャベツ、ピーマン、少しのトマトと牛蒡も。チーズはプロセスチーズをおろしてとあったが、余っていた粉チーズとベビーチーズを手でちぎって散らばした。水分が少し要るのだが、ちょうど大根おろしを擦ったのでその汁を入れる。
 蒸すと甘味がでるものだが、サツマイモは先日のご飯と一緒に丸ごとで蒸したものより甘かった。丸ごとの方がうま味が凝縮されるようで甘いかなと思っていたのだが。それとも他の野菜やチーズの塩分や大根汁の効果なのかもしれない。
 食べるときにタバスコをかけてみたら、やはりチーズ味によく合って美味しかった。なくても美味しいと思う。

 このベタカロ蒸しに、納豆梅おろし、炒り豆腐、切干大根の胡麻味噌和えなどが夕食メニューだった。なんというか質素始末の料理づくしと言っても良いのだが、これだけのものが食べられるというのはありがたいことだと思う。
 魚柄氏も言っておられたが、食料自給率の非常に低い我が国は、今は食糧に対してやりたい放題といった感じだが、この先こんなことがいつまで続くかな。
 とりあえず自分にできることは、食べられるものを捨てないということだ。



 
 
 
 


 


 ひさーしぶりにビデオテープ録画の『黄昏』を観た。


 キャサリン・ヘプバーンの声が異様に低くおばあさんなのに驚いた。しかし、そこがいい。
 さっぱりしていて豪快で明るくやさしく、気難しい夫と彼に反発する一人娘をしっかり愛している女性の魅力は、あの低い声だからこそまた引き立つようだ。
 
 前回観た時は粗いながらもちゃんと映像が出た。今回はまったく見えず。頭から終わりまで、ザーという砂嵐ばかりが見えるだけだった。途中で画面をタオルで覆い見えないようにして、声だけ聴いた。私の能力では会話の内容を字幕なしで理解するのは殆どできなかったが、雰囲気だけは楽しめた。

 
 今朝公園を歩くと、柴犬に似た雑種犬の相手をしているおばさまがいた。
 がに股になって犬の遊び相手をしていた。
 「ほらっ!ほらほらほら!!」と叫ぶその声がヘプバーン並みに低かった。
 私の視線に気づいた感じの所で、「さあ~もう終わりにしようか。もう疲れちゃった」とおばさんは愛犬に話しかけ、ついとこちらを見て、「おはようございまーす」と私に挨拶をしてきた。
 声はヘプバーン級だが、年齢はそれより10以上は若いようだった。

 歳を取ると声は低くなる。
 自分の親の声はあまり変わらないように思うのは、いつも聴いているからだろうか。
 人と喋ることが殆どない生活を長くしているので、私の声は確実に人より早く低くなる、いやもう低くなっているかもしれない。
 こないだ図書館で検索機を前に戸惑っている子どもに声をかけようとしたら、スッと声が出なかった。出た声も枯れ気味だった。

 ちょっと独り言を多くしようと思う。


木の匙


 コーヒースプーン

 このちっこい木の匙で二杯。
 これがいつものインスタントコーヒーの量です。
 スプーンと呼ぶより匙と言いたい。こいつも山牛蒡セロリ印。深くくりんとくり抜かれたところが、粉コーヒーにまったくちょうど良いのです。
 そこへ沸騰する前のお湯を入れます。
 ご飯を食べる直前直後のコーヒーは控えているのだが、ここのところ朝ご飯の前に一杯飲んでしまっている。
 おいしいなあ、と思いながら飲んでいるから、まあいいかと思っています。


 安倍首相がキューバのカストロさんに会ったというニュースを見てみたら、その会談ではなくカストロさんが立派な椅子に座って何か書類を読み上げている映像が出てきました。どこか議事堂とかそういう場所だと思うのですが、カストロさんは青いアデイダスのジャージを着ていました。その下にチェックのシャツ、その下に白いTシャツがのぞいて見えました。日本人から見たらものすごいラフ。ちょっと引き付けられました。
 キューバはカストロさんがいなくなったら面白くなくなるだろうと、誰だったかに昔聞いた覚えがあります。




 

相撲あと4日


雨とり

 しっかりと降り続く雨の中、影絵のように鳥がいる。


 雨が上がった午後に散歩に出ると、水嵩の増した川の真ん中流れの強い所を、白鷺が一羽ゆっくりとした調子で歩いていた。
 川を横切るようにヒョコッヒョコッという感じで足を上げながら歩いていた。
 その足元が白くて、アラッと思った。白鷺は足元も白かったのは初めて知ったのだった。
 離れたところから見ると、細く伸びた白い花びらのようだった。


 ところで、昨日の大相撲を聴いていて、調子よかった隠岐の海がいつの間にか4敗になってしまって驚いた。
 今場所は白鵬が休場しているので盛り上がりはどうかと思っていたが、けっこう競っているし、聴いていると取り組みのよい相撲が取られているようでいい感じだ。稀勢の里は昨日で綱取りの夢は完全に断たれたと言われていたが、それでよかった。稀勢の里に横綱は重いだろう。「ダメかなあ」と毎回ドキドキさせられる日馬富士も負けて2敗になってしまった。あまりピンと来たことが無い豪栄道が波に乗り切って突き抜けるだろうか。

 昨日の解説は元普天王のなんとかさんだったが、やけに軽い喋りだったなあ。声も高めだが、
 「ほんとにネ、稀勢の里もネ、一番にネ、自分でネ、・・・いっぱいでネ、星を合わせればネ・・・」
 と、 とんでもない「ネ」好き。この喋り方はなんとなく野球選手を思わせた。
 それから、私の耳にもわかる音痴な呼び出しがいた。
 別の呼び出しを聴いて、アナウンサーが、「糸を引くような呼び出し」と表現した。

 姿見えぬがラジオ大相撲もおもしろい。

同時に


 ご飯を炊きながら芋もいっしょに蒸かしちゃうのです。

  芋ごはん1


 寝床読書に小説が切れて、魚柄仁之助氏の著書をまた読んでいる。
 氏は、ご飯を炊く鍋の底でご飯を炊き、上方にザルをひっかけて蒸し物をすることを紹介しておられた。
 今回私が使った圧力鍋の口にちょうどよくはまるザルは持ち合わせないのであったが、蒸したかったサツマイモが、うまい具合に鍋の直径と同じ体長でいてくれた。鍋の中とはいえ、宙に浮くような芋の姿は、なかなかにヘンテコリンで陽気なようでせつなさも感じさせるのだった。


 できあがり。


 芋ごはん2

 
 お芋はご飯に埋もれていたが、抜き出すとそれほど飯粒にまみれてはいなかった。きれいな体であった。

 炊いたのは、新生姜ご飯だった。冷めてから匂いを嗅ぐと、生姜の香りが芋に移っており、しっぽを齧ると確実に生姜の香りが鼻に抜けた。今日の夜ごはんにそのまま食べる予定だが、この生姜芋は、胡麻風味のサラダにするとよさそうだ。



 


 

 長く咲いていた百日紅が終わりを見せている。
 今日は麦茶を水出しでなく、沸かして飲んだ。
 肌寒さに薄手のカーデガンを肩にかけている。
 夜はもう窓を開け放して寝なくなった。そして起きる時刻が遅くなりつつある。


 そんなでも、昨日夕方、ツクツクボウシが一匹鳴いているのが遠くから聞こえてきた。曇って薄暗い空から。
 昼間蒸し暑かったので、まだいけるって感じで鳴いていたのだろうか。あいつがだれかお相手を見つけるに必死に鳴いても、ここへきて見つかるだろうかと思った。


 冷蔵庫はいまだにショウジョウバエの自殺が絶えない。
 やっぱり庫内のどこかに卵を産み付けたやつがいたと考えられる。
 庫内で死なずに外に出てくるやつが毎日2、3匹いるのだが、これが非常に鬱陶しい。なんでか知らぬが私の顔の周りを好んでぶんぶん飛び回る。なにかしらの食べ物が外に出ていたとしても、そちらには目もくれない様子で。私の顔が臭いのだろうか。


 果物メインの朝食は、すぐにお腹が空く。7時半ごろ食べて10時過ぎに買い物に行ったら、急激な空腹感が襲ってきて低血糖になるかと思った。そこで再びご飯と味噌汁の朝食に今朝はしてみたが、お通じはまた非常に良かった、というか良過ぎてゆるい位だった。原因がわからないが、自分の腸内細菌が善玉多めになってきているみたいだ。とてもうれしい。



 
 

Respect for the Aged Day

 買い物に行ったら、老若男女わいわいしていた。
 今日は敬老の日だった。
 そう思って見ると、老人の姿が多いようにも思える。老人というか、孫から見たおじいちゃん、おばあちゃんだ。今どきのじじばばは、若い。
 我が母は市からプレゼントをもらったそうだ。お赤飯とドロップ。「お赤飯なんかすごい多いもんで、三回に分けて食べる」と明るい声で話していた。
 しっかり老人に入る年齢だが、親が老人になるというのは、いまだになんだか納得できてない感じで、だから時々やさしくない態度をとってしまう。


 老人も多いが、働きざかりや若い男性も今日は沢山見た。
 カルディコーヒーにも20代~40代と見える何人かがいた。
 それで思ったことが、カルディにいる若めの男性で一人か二人連れでいる人は、なんとなく同性愛者に見える。初めて思ったことなのだが。他の人の意見はどうだろう。たまたま見かけた彼らの服装が、身体にフィットする感じのものが多かったからだろうか。


 
 
 
 
 

思い出だ


 コーヒーから立つ白い湯気がしあわせに見えます。
 もうじき秋分です。
 今日も寝転がって本を読んでいたら眠くなって昼寝に入りったのですが、開けた窓から入る外気が寒くてふるえて起きました。
 雨続きにこの後台風がきたら、そのまま一気に秋になるのでしょうか。


 昨日と同じに朝はイチジク、キウイと冷凍してあったバナナケーキを食べました。
 イチジクはまったく女性です。確定的です。
 キウイはと考えると、男の子という感じ。
 そんなことを考えながらひとりの食事をするのです。
 イチジクとキウイが効くのか、今日も非常によいお通じがありました。
 師匠の言われるように大前提として、「副交感神経が働く」というところに、腸の活動も左右されているのでしょうが、ストレスフリーの私はそちらは以前から問題なし。
 果物のおかげかどうか、しばらく調査してみます。

 
 ノートが一冊欲しくなり、使ってないものがあったような気がすると、ありそうな所を探していたら、何年か前の日記が出てきました。私は、気が向くと日記をつけ始め、いつの間にか自然消滅するということを繰り返しています。
 見つけたものも、10ページくらい(3か月ほどとびとびで)書いて終わっていました。
 その中の一ページに、筆ペンの黒く大きな字で、”打倒 M!!”と書いてありました。(Mというのは、ほんとうはその人の名前です。)
 Mは、その頃バイトしていた飲食店のオーナーシェフで、この人は女性で私と同い年でした。
 Mの店はとても人気で、ランチタイムはいつも開くまえにお客さんが並んでいました。
 Mは色々な店で修業した実績もあり、その腕も確かだったと思います。親の援助があったとはいえ、あんな人気店を何人かの従業員をかかえながらやっている、そして早朝から晩まで一番長く働いており、すごいなあと思いました。
 しかし、とにかくMは、”怒”の人でした。
 私も怒られましたが、よく怒られる人というのがいて、その人は納得しているのでいいのだとは思えるのですが、横で聞いているのは全く気分のいいものではありません。たとえMの怒りの理由が間違っていなくてもです。私がぬるい環境の中でしか働いたことが無かったからかもしれませんが、ほんとにヤだなあと思ったものでした。

 結局Mのところは、Mを打倒することなど夢の中の夢のうちに辞めることになりました。
 そしてあれから数年経った今、Mの店は依然として人気を保っており、私はほぼ無意味に生きている。

 ”打倒 M!!”
 この太く力強い文字で、笑えたのが今日はよかったです。



 
 


 

イチジク

  「完熟です。上物」
と宣伝文句が付いていたので、イチジクを買いました。

 店頭に出始めていた頃から、いつ買おうかなあと思ってはいたのですが、今回がけっきょく今年初。

いちじく1

 そして今朝は、キウイとイチジクにヨーグルトをかけ、バナナとプルーンでミックスジュースを作りました。果物づくしです。

 我が母は、たいした果物好きです。
 糖尿なので糖質は制限しないといけないんですが、一日三食、何かしらの果物を食べます。米も好きなのですが、果物の方がその上を行くようで、果物を食べる分、ご飯はなるべく控えようとしているようです。

 キウイとグレープフルーツは常備してあります。
 「キウイは食物繊維が豊富で便秘に効く」と言う母は、まったく便秘知らず。そして、グリーンよりも甘いゴールドキウイが好き。  
 グレープフルーツは、「糖分が少ない感じがするし、匂いを嗅ぐとダイエットになるらしいから」と言っています。「だから剥いた皮はしばらく取っておいて、その匂いを嗅げばやせる」と言っています。匂いを嗅ぐと空腹を感じる神経がマヒされるかなんかして、食欲が抑えられるのではないか、それで食べる量が減るからダイエットになるのではと私は思いますが、母の食欲が抑えられているようには見えません。ただしばらく、捨てられてもいい皮が机上にあるだけです。この皮で油汚れなどを拭くとかすればまだ役だったと言えますが、母はそれはしません。
 一方、私は果物が好きではありますが、そんなに食べることはありません。朝食に食べられればその一日は満足なのです。
 「あんたは果物好きじゃないねえ」と母は言いながら、私の分の果物も切って、毎食付けてくれます。「夜はビール飲むし要らないからね」と言っても。


 さてイチジクです。

 イチジクは、キウイやグレープフルーツとは違い、この時期にしか食べられない果物の一つであるので、それを扱う気持ちが違う気がします。


  いちじく2

 イチジクの薄い皮は手できれいには剥けなかったので、半分は皮ごと食べました。
 完熟というので思っていたほどには濃い甘さはなく、爽やかさも残る感じのイチジクでした。
 外側の少しかさかさしたような白い肌の中にひそんでいた瑞々しく艶っぽい赤い果肉を露わにしたところが、真骨頂でした。

 

道みえず

 自分が使っていた実家の子ども部屋は、今誰も使っていない。私のものがまだそのままある。
 この家は、長男である弟がいずれ継ぐことになっている。その時に、私が欲しいのは、私が使っていた木の学習机だ。
 学習机と言っても、高校生の時に買ってもらったもので大人用だ。ちゃんとした家具屋で親が買ってくれたなかなか立派なもので、明る過ぎない茶色の色合いがいい。これだけは貰いたい。


 帰省したときに、一度はこの机に座るだけはするのだが、今回は引き出しの中をけっこうしっかり整理して色々捨てたりした。

 昔もらった手紙がまとめて入っていた封筒があった。その中に、働いていた学校の上司が、私が辞めるときにくれた手紙があった。万年筆で便箋三枚ほど、書いてくれていた。静かに読み進める。

 「人生の半ばほどである36歳くらいまでには、自分の歩く道をしっかり決められるといいですね」

 ・・・・・

 なるほど。
 しかし今の私は、言われた年齢をもうとうに過ぎているのに、若い時よりも自分の道が見えない霧の中にいる。
 一日ごとに、自分はどう生きるのか考えが変わる、いや一日の中でだって変わることがある。
 もともと自分は、まじめで安定を選ぶ人間だと思っていたが、「どこでどうなっちゃった?この先どうしたい?」と母に言われても、自分自身わからない。
 やりたいこと~、やれること~。


 とりあえず今日はお通じが3回もありお腹スッキリ腹が減る。
 廉価の国産赤ワインを開けて大相撲を聴きながら夕ごはんにしよう。



 
 





 

変わらないもの


 実家の目の前にある公園”ちびっこ広場”は、私が幼少の頃に遊んだ遊具がそのままだ。


   ちびっこ2

 すべり台、ブランコ、写真には写ってないがシーソーが一台、砂場がある。
 どれも塗り替えはされているが、土台は40年変わらない。
 砂場は一時期、猫が糞をしてしまうということで、木が植えられて遊びには使えなくなっていたが、今また遊具として生きかえったようだった。
 すべり台とブランコを使っては、鬼ごっこをよくやった記憶がある。それから、このすべり台を見ると、「あれはちょっとやばい人だったよなあ」と思い出すおじさんがいる。そのおじさんは一日だけしかそこに現れなかったが、私を含めた近所の女の子3,4人が遊んでいる中にふらりと寄ってきて、私たちが遊ぶ後を付いて回った。すべり台では、滑り降りる下にスタンバイして、少女たちが滑ってくる姿を笑って見ていた。最初私たち少女らは、普通に遊んでいたが、だんだんとおかしいと感じ始め、誰からともなくおじさんから距離を取り始め、あるタイミングで、手を取り合って一斉に走り出し公園から逃げたのだった。おじさんは、少女らの後を追ってはこなかった。

 今もちびっこ広場からは、夕方前まで子どもの声が聞こえる。
 私が遊んだ頃より人数は少ないようだが、高い子どもの声が聞こえるのは、老人率が高くなったこの辺りにはいいものだ。
 


  ちびっこ1

 すべり台の裏の家のボロさも、変わってないように見える。
 40年変わらぬボロさだ。




 

カッパドキア


 トルコ映画を鑑賞。

 『雪の轍』カンヌ映画祭でグランプリ受賞作品。
 ドラマが繰り広げられるのが、トルコのカッパドキア。
 有名な石の洞窟に作られた建物はやはりとても興味深い。実際にそこにはホテルがあるらしいのだが、そのホテルの所有者の老年に入った元俳優が主人公。
 話は3時間以上あり長い。その内、ハラハラドキドキというようなエピソードは殆ど無く、生き方についての会話が大半を占める。
 スカッと簡潔!を求める場合はまったくダメだが、その大半を占める会話に付いていけなくても、建物や荒涼とした自然やトルコの気候などを見ることでまず楽しめた。それから、まったく知らないトルコ人の一部を知ることができた。

 カッパドキアといえば、私には”温泉”が思い浮かぶ。
 カッパドキアは火山地帯で、水着着用だと思うが温泉に入れたはず。
 若い頃、一度行ってみたい外国の国の上位にトルコが入っていた。理由はたしか食べ物がおいしいと聞いたから。世界三大料理のある見方では、トルコ料理が入るのではなかったか。
 そういえば、気球にも乗れたはずだ。

 映画の中で、ホテルの宿泊客に日本人が出てきた。若者だったが、あの人は素人だと思う。英語で主人公と会話していた。それを聞いたとき、自分が昔海外旅行をしたときのことが、とても懐かしく思われた。私もあんなふうに初級旅の英語あたりを使って、現地の人とがんばって喋り、少しでも喋れるととても嬉しかった。

 今は、この名古屋で英語で会話してくれる人がいないかなと思う。



 

自殺の地


 肩凝り解消に効くタオルを使った簡単体操というのを、ラジオで教えていたので、一緒にやってみる。


 普通のタオル(温泉タオル)の端を両手で握り、頭の後ろをゆっくり十回上げ下げする。それからお尻の後ろ辺りを十回上げ下げする。そして座った体勢で短く持ったタオルを首の後ろに当てて前方に倒し、首の筋を伸ばす。

 それをやったら、翌日「なんだこれは」と言う程の肩凝りに見舞われた。
 肩こり解消運動で?と思ったが、それしか思い当ることがない。
 マッサージをやってもらうと、その後にもみ返しが来るようなものだろう。しかし今回の張り方は近年にない重くうんざりするようなものだった。
 筋肉痛でも動かした方がいいという。それに準じてひどい肩凝りのまま、同じ動きを2日やってみたら、治った。というか、元に戻った。
 私は目も悪いので肩首が凝りやすいのだが、この運動を毎日やっていれば、あのようなウンザリ肩凝りにはならずに、いつも軽い状態で生きられるのだろうか。しばらく続けてみよう。


 ところで、お盆を過ぎた辺りからだったろうか、家の中にショウジョウバエというのかちっちゃい黒い点みたいな虫が出始めた。
 昼間寝転がって本を読んでいると、顔の周りを飛び回る。点ではあるが、きちんと鬱陶しい。
 ご飯を食べるとき、これは主に夕食だが、皿の縁に停まっていたりする。黒ゴマとも見えたりするが、少し動けばこれも手で払わずにはいられない。
 この黒点は、集団で出没するかと言えばそうではなく、どのタイミングでもたいがい一匹オオカミだ。だから、家の中のどこかで一気に卵から孵ったということも考えられず、また、一匹だけで現れるので、まあいいかと思っていた。

 それがそれが、先日冷蔵庫の扉側のポケットを洗い外で乾燥させた後、元に戻そうと冷蔵庫を開いたとき、一番下の段の一番手前の扉が開く所に、黒い点々がババッとあるのが見えた。一瞬見たあとで扉を閉める。袋に入った黒ゴマの口が開いてこぼれたかという感じだったが、黒ゴマにしては若干色が薄い。まさか。
 そのまさか、であった。
 冷蔵庫の中に、ショウジョウバエが10匹以上死んでいた。
 そして、その翌日、同じように、今度は8匹ほどが、死んでいた。
 そのまた翌日も。
 一体どこからどうやって入ったのだろうか。もしや冷蔵庫の中で生まれた?探してはみたが発生場所のようなものは見つからなかった。

 今日も5匹死んでいた。テイッシュでふき取るようにしていたのを、もう指でなぞって取った。
 黒点たちがここで死にたいなら何も言わずに場所を提供するが、ここで死にたい理由が知りたい。



 

おかのり



 ”おかのり”を初めて買ってみました。


   おかのり


 名前は聞いたことがありましたが、食べたことはなくどんな野菜かもまったく知りませんでした。
 産直市場で売っていて、「サッと茹でて刻んで鰹節をふりかけ、ご飯やそうめんに」と、調理が簡単そうなことが書いてありました。
 お店の人に尋ねると、「癖もないし、たたくと海苔みたいな香りがする」と教えてくれました。別に海の近くで栽培されているわけでもないのに、海苔の香りとはおもしろい。見た目固そうな軸も食べられると聞き、それではと買ったのです。


 調べてみると、おかのりはオクラの仲間だということが分かりました。私にはありがたい鉄分も豊富。たたくと粘りが出ます。腸にも嬉しい。食べ方は、お店の紹介のようなお浸しや、炒め物にしてもよく、オクラのように納豆なんかと和えても美味しいとか。
 
 青菜はグツグツ沸騰した湯ではなく、表面がゆらゆらする80℃ちょっと位の温度で茹でるのがいい、というのに私は倣っています。確かに青菜には、そのくらいの温度がやさしい気がします。
 おかのりの葉はすぐにやわらかくなり、固く見えた軸も、モロヘイヤの”枝”と言いたくなるような軸といったことはなく、茹で上げて齧ってみると、ちゃんと噛んで食べられるものでした。ほんとに癖がありません。

 さっそく夕食に大根おろしと納豆を用意し、おかのりをたたいて混ぜました。
 オクラよりも鮮やかな緑がきれいです。 梅干しもちょっと入れてみました。緑とピンク、白、茶色。
 たたくと海苔の匂いがする、というのはよくわかりませんでした。 もっと香りに意識を注がないといけなかったかもしれません。
 まだ残っているので、もう一度やって確かめたいと思います。

 野菜はいくらでも食べられます。



 

 

買い物に行き


 用事があって商業施設へ昨日出かけたら、なんだかすごい賑わいでした。


 日曜日にしても夏休み開けてこの賑わいというのは何故か、確かなことはわかりませんでしたが、バーゲンセールではないかと思いました。
 外はまだかなりな暑さでしたが、施設の中の装飾や、テナントの店の袋などが、秋バージョンになっていました。茶色いトーンやモミジの紅が、気持ちにそぐうようになるのは、もう少し先です。

 小さな子どもを連れた若い親子をよく見ました。
 曜日がまったく関係ない私は、平日もこの商業施設に行きますが、近頃若いお父さんが一人で赤ちゃんを抱いて歩いている姿をチラホラ見ます。男性の育休というのが広まってきているのでしょうか。
 途中、ある若い夫婦の後ろに付く感じで歩いていました。母親がベビーカーを引いていましたが、父親の方が赤ちゃんを抱いて歩いていました。この二人の喋る様子をしばらく見ることになったのですが、これがまためずらしい位に二人とも非常に穏やかな夫婦。ずっと微笑みながらゆっくりした感じで会話している。この二人は幸せになってほしい、というより幸せになるでしょうと勝手に思ったのです。
 こういう穏やかな人間が増えればいいと思いますが、同時におかしい人、変態的要素のある人もいてくれないとと思います。もちろん犯罪性のある変態ではなくという意味ですが。穏やかで社会的には問題のない変態。自分はあまり穏やかでもないし、あまり平均的とは言えない生き方はしているにせよ、面白い変態的な所は持ち合わせてないので残念です。

 視覚的に一番印象に残った人は、栄養のほとんどが太ももに行ってしまっているという体つきの若い娘でした。顔より太ももの方が太かった。あんな太ももが付いていたら、そこらのチンピラくらいは怖くない。腰も悪くならないだろうと思います。



  干し胡瓜

 天日に干した胡瓜。
 夕方取り入れようと見たら、薄目に切ったものが、焼けたように茶色くなっていました。
 太陽の力はすごい。


ミックスジュース


 今日は先週にならって午前中は固形物摂取無しの日にしてみる。


 毎朝散歩に出る前に、お酢ドリンクを飲む。戻るとヨーグルトと豆乳を混ぜて飲む。
 運動の前に酸、終わったらタンパク質を摂るというのをやっているつもり。
 ラジオ体操をして洗濯したり鏡を見たり床の埃を拾ったりしていると、かなりな空腹感がやってくる。いつもはそこで普通に食事をとるが、今朝はお腹が空き過ぎる前にミックスジュースを作って飲んだ。

 十年以上使っているミキサーは、随分前にパッキンがどこかへ行ってしまい、ギューギューに絞めても回すと水分がタラタラ漏れる、あるいはビーッと飛び出す。なので中に水分を入れ過ぎないことに注意。
 凍らせてあったバナナと小松菜だけでまず回す。そこへ少しの昆布水を足す。良さそうだったのでいい気になって豆乳も適当に入れて回したら案の定水分が飛び出した。無駄だとわかっているが、手で押さえたりしてみる。「急いで」とちょっと思う。
 しかしこれは想定内。動じずにでき上がったのをコップに移す。
 いい感じの重みとふわふわ感。
 粉末青汁がまだ余っていたのを思い出し、サーッと入れてスプーンでかき回す。
 こんな感じの飲み物は、スムージーと言っていいのだろうが、私には”ミックスジュース”である。

 
 ミックスジュースの思い出。
 それは「チャオ」というあんかけスパゲッテイ屋にある。
 子どもの頃、小学生の頃だが、母が外食に私と弟を連れて行ってくれるとき、よく行ったのが(よくと言っても月に一度かふた月に一度くらい)、ユニーに入っていたチャオだった。家から近く、母はユニーで買い物もできるし、なにしろ私と弟が喜んだからだと思う。
 「チャオ」はよく名の知れた店だったと思うが、そういえば名古屋へ来てから見た覚えがない。実家の方のユニーには、今あるのだろうか。

 外食はとにかく心弾むものだった。大衆的な意味の「レストラン」という言葉がまだあった時代だと思う。色んな店が溢れるほどある今どきのお子さんより、弾み方は大きかったと思う。特に私のうちは、料理上手とはまったく違う祖母が主に台所を仕切っていたので、私と弟の盛り上がり方は、当時の子どもの中でも大きかったはずだ。

 チャオの嬉しいことの一つは、トッピングの種類が色々あることだった。今思えば大したトッピングではなかったかもしれないが、赤いウインナーと缶詰のコーンでも、選ぶということがまず楽しかった。たいがい私たちは、エビフライを選んだと思う。今思えば特に金持ちでもない親の財布の中など何も考えず、豪勢だった。
 そして、なんといっても、熱い鉄板にのってジュージューいったのが運ばれてくるのが嬉しかった。お店で、レストランで食べてるという気分が高まった。
 あのチャオの決まりきった味もあんかけソース。そういえばあのソースはレトルトでスーパーでも売られていたように思う。それを買って家でも食べたことが確かにある。しかも何回も。あの味をもう一度食べたいと、今の私は、これがちっとも思わない。あの濃さと、これは何味というのかわからない感じが、懐かしさだけで留まらせる。
 しかしあの頃、小学生の私たちは、運ばれてきた大人と同じ量の自分の一皿をしっかり平らげた。

 そして平らげたところで、「飲む?」と訊いて、母はミックスジュースを頼んでくれた。
 ぽってりした大きなワイングラス状の厚みのあるグラスに入ってくる。このグラスがまたレストランだ。
 クリーム色はやはりバナナが多いのだろうが、苺の味も入っていたような気がする。氷が三つ四つ浮いている。
 曲がるストローを刺して飲む。しっかり重みのある液体がずるずると口の中に入る。あんかけソースのスパイスも効いたような濃い味のあとに、ミックスジュースのやわらかく濃厚な甘みがとても良かった。あんかけスパゲッテイの後は、オレンジジュースやリンゴジュースでもコーヒーでもなく、ミックスジュースだと、これは今でも思う。
 ストローがグラスの底にぴったりつきズズーッと音を立てる。グラスの中に氷だけが残る。満腹で大満足だった。


 白いコップに入ったミックスジュースを飲みながら、自分は育ててもらったんだなと窓の外を見た。

刈っている

 街路樹の下に生い茂った雑草や小さく育った木を、大ばさみで刈っているおばあさんがいる。


 朝にも見るし昼見ることもある。近所の人だろう。時どき通りがかった奥さんと喋っていることもある。
 この夏の間に一度、公共事業の人が刈ってくれたはずだが、あっという間にまた伸びて、おばあさんには気になるものとなった。

 おばあさんは80手前といったところだろうか。小柄で痩せており、背中の上の方から肩にかけて曲がっている。首が肩に入り込んで頭が前に出る感じ。しかし、筋ばった身体で芯がしっかりして丈夫そうだ。浅黒い肌の色も、丈夫に見せている。
 おばあさんは、少しづつ刈っている。ある程度刈ると、曲げていた腰を上げて、自分が刈った様子を確かめる。
 刈った跡は、綺麗という所まではいかないが、確かにすっきりはしている。
 
 おばあさんの頭はおかっぱだ。
 たっぷりの髪。白とグレーが混じっている。この頭は、綺麗だと言える。
 頭もきっと自分で刈っているに違いない。

 102歳まで生きた私の祖母さんをちょっと思い出した。身体は非常に丈夫だった。こちらは昔の人にしては間違いなく大柄で、「大女」と言われていたはずと、親族の誰かから聞いた。手も足も大きかった。声も大きかった。腰はひどく曲がっていた。晩年は、歩くとき、頭部が床に付いているのではないかという程、曲がっていた。視界には床と自分の足しかなかっただろう。だから、家の中では置いてあるものなどによくぶつかった。外出の時は乳母車を押したのでよかったが。
 髪の毛は多かった。死ぬまで多かったと思う。切るのは自分ではなく、娘に任せていた。
 家の庭木を切るのは主に父だったが、がっつりツンツンに切ってしまいたい父と、短く切ると通りを通るよそ様から家の中が見えるからイヤだという祖母とで、毎回大声の喧嘩になっていた。
 
 この祖母から私が引き継いだ一番の事実と言えば、倹約精神ではないだろうか。
 ご飯を包んであったラップについた飯粒一粒まで取ろうとするとき、大根おろしの汁も絶対捨てずに何かに利用するか飲んでしまうとき、卵を割ると殻に残ったほんの少しの白身も指できれいにしようとするとき、そう思う。こういったことを見たわけでも教えられたわけでもないのに自然とこうなっているのは、あの非常な倹約家の祖母の血と見えない力が、私に入っているのだ。努めずに私は”始末のひと”となった。
 ただ、一度はがしたサロンパスを窓ガラスに貼っておき、再度使用するといったところまでは、なかなかできない。

 
 

いよいよ日記です

 昨日は暑さがややぶり返したが、日の光は秋の香ばしさがはっきりとあります。
 早朝の草むらでは、虫たちの声が途切れなく響いています。
 明るさの中だからか彼らの声の大きさからか、情緒と言うよりも、生殖のためにガンバッテいる、必死だなあと思えてきます。


 先週始めから、向かいの大きい立派なマンションで、内装工事のチームが毎日仕事をしています。
 何人いるか定かではないですが、バン二台で来て、おやつの時間と昼食時には、キャンプ用の折りたたみ椅子を開いて、駐車場の日陰になった所で休んでいます。とくに何も喋ることなく、手にお茶か何かののペットボトルを持ち、皆ぼんやりしている感じです。
 仕事中も喋り声はあまりしません。ただ時々、「おい、テツオ! ○ 〇 〇 しとけよ」といった、やや年配の人の声が聞こえます。すると、テツオだかタケオだかという名の若者が、「はいっ!」と返事を返します。「ういっす」とか「うィ~っす」とかでなく。
 なかなか気持ちの良いものです。

 今日もちょっと暑くなるようですが、風があるので、内装チームの人も少しは働きやすいでしょう。



 『しあわせな食卓』を読みました。
 人により、食べることや食べ物に対する考え、姿勢というのはほんとに違うもんだ。

 暮らしの手帖の花森安治は、「味が変わらないから」という理由で、コーヒーはインスタントを飲んでいたそうです。
 私は手軽、安価、悪くない味という理由でインスタント。
 暑い日は午前中の一杯はホットでブラックで飲みます。午後ちょっと飲みたくなると、カップ通常量の粉とそれを湿らすより少し多めの水を入れ、20秒ほどレンジにかけます。カップを取り出し、一度その香りを大きく吸い込んだ後、氷をゴロゴロと適当に入れ、そこへ豆乳を注ぎ入れます。豆乳なので、甘い感じは殆どありません。ホットで飲むときも、まず香りをしっかり吸い込むことを私は大事にしていると言えます。脳みそへの刺激です。
 そうやって、この夏は飲みました。


   しあわせな食卓


 
 



休みはつづく



 カメムシが洗濯機の中で死んでいた。
 
 偶然ひょいと覗いたときに見つけたが、この前の洗濯のときにいっしょに洗ってしまったのかもしれない。
 死んで乾いたカメムシからはもう臭いはしなかった。
 これからカメムシの季節。干した布団に気を付けなければならない。


 夏休みが終わり、昼間に子どもの姿は街から消える。
 夏休み中には、髪の毛染めた子、というか若者というくらいの子を何人か見かけた。金髪や明るい茶色や筋状に赤かったり。
 自分が子どもの頃は、染めた髪の毛の人はコワい人だった。
 少し大人になると、あんまり好ましくはないと思った。
 今年は、「なんかけっこういいなあ」と思うようになっていた。
 全部が全部いいと思うわけではない。濃い赤などは重くて夏には暑苦しかった。また、群れている何人かが染めているのもそれ程ではない。
 こんなのがいい。
 自分が道を歩いている時に、後ろから来た一台の自転車に追い越される。なんということもないTシャツを着た痩せ型の背中で、立ちこぎなんかをしているその頭が、金髪だったりする、というのである。



 寝床ではこないだまで吉田修一の『橋を渡る』を読み、また海外ミステリになった。海外のは名前や地名ががこんがらがったり読みにくい所もあるが、軽さをあまり感じない所がいい。今の自分には合っているようだ。
 日中寝っころがる時にぺらぺらみる用には、水上勉の『精進百撰』
 水上勉は1919年年生まれのまあ古い人だが、この本は1997年に刊行されたもので、料理の写真はカラーで載っている。
 まだほんとにぺらぺら見ただけだが、その中で大豆の昆布煮が目についた。そこにある文章を読むと、「私はこの昆布煮が好きで、惣菜の親分のように思うのだが」とあった。
 蒸し大豆にしようと思っている大豆が冷蔵庫にある。これを昆布煮にしようか。
 しかし蒸し大豆のあのシンプルな甘みとうま味は捨て難く、迷う所である。


 梅雨前から始まっている私の休みは、まだ終わらない。


  水上勉 精進百撰

プロフィール

isoginchaku

Author:isoginchaku
名古屋市緑区在住。たった一人の弁当屋。
只今休業中。

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