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犬でなく

 近ごろわたくしが「これはイカン」と思っている一番大きいことは、散歩道における犬の糞の片付け状況が、ここの所急速に悪くなっていることです。
 ほんとにこれは、どうにかしなければいけない大事な問題ですよ。私は毎日踏みそうになっている。いやもう踏んでいるでしょう、乾いたやつを。


 この辺りに野良犬はいないから、片付けない飼い主が一人ではなく、ウンコの数から言って何人かいるはず。
 大概が道の横に生えている雑草のそばとか、街路樹のそばにころがって、あるいはもう潰されて干からびている。それを見ると、草刈りや剪定をしてくれる公共事業の人たちのことを思い気の毒になります。犬のウンコを飛び散らかしながら草刈りをしないといけないのですから。
 しかし今朝見たのは、どうどうと橋の歩道のまん真ん中にあり、しかも出したてのようにやわらかそうな様子だった。あのウンコの多さからすると、小型でなくある程度大きさのある犬と思われる。
 そして犯人は、なるべく人がいない時間を狙って犯行に及んでいるはずだから、夜中やまだ朝暗いうちに散歩しているだろう。
 犬ウンコ探偵になってもいいのですが、寝る時間に働くことは私の生活信条にないのでできない。


 さて、そして今朝は少し腰の調子がいい感じがしたので公園一周を追加しようと足を向けました。

 公園には子ども向けの遊具があるコーナーがあり、そこにジャングルジムに似た大きな遊具があるのですが、その下の地面には芝生が生えています。そこで薄茶色の小さな犬二匹を放している人がいました。ショッキングピンクのTシャツに七分丈のカーゴパンツみたいなのを履いている痩せ型の男性。男性は、なにやら言いながら、一匹の犬を捕まえようとしましたが、小犬はぴょぴょっとした感じで上手くその手から逃げ、男性はわざとらしい程できすぎている感じに「ばったり」というように地面にうつ伏せに倒れました。男性はそこで、「こらこら〇〇ちゃんだめじゃないかー」というようなことを喋りました。その様から、ショッキングピンクだけどお爺さんかと私は思いました。
 私が徐々に近づいていく間も、ショッキングピンクはずっと喋りながら二匹の小犬を中腰でひょこひょこと追っていました。
 顔が判別できるほど近づいたとき、ショッキングピンクは爺さんではなく中年だとわかりました。
 そして、好き勝手な方へ動いている二匹の薄茶色の小犬は、犬ではなくウサギだったのです。
 私がかなり近づいたとき、ショッキングピンクはこちらの視線をあきらかに気にしていた。
 休日の朝、公園でウサギを放して遊ばせるショッキングピンクでした。

 あそこにウサギがウンコを落としていたら、今日遊具で遊ぶ子どもはきっと踏む。
 でもウサギのウンコならまあ許してもいいかなあ。



 
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おもしろかった

 分けたいほどあるヒマな時間を過ごすのに、読む本があるのと観る映画があるのは、ほんとうにありがたいことです。


 戦争映画を続けて観ました。戦争映画はあまり好きではないのですが。

 一つはラジオで紹介されていたもの。

 ブラックブック

 ナチス政権がまだはばをきかせつつも終わりに近づいている時期のドイツのユダヤ女性が主人公の話。
 策略・裏切りの止まないストーリー、人物設定もよく役者もいい。最後まで飽きずに面白く観ました。


 もう一つは、「おすぎが推薦してたから観たらよかったぞ」というセロリ師匠からの情報により観た韓国映画。

 高地戦

 これはほぼ男ばかりが出てくる、まさに戦場の撃ち合い殺し合いの映画です。
 こういうのは特にあんまり好きではないのですが、けっこう面白く観ました。
 ややコミック的な配役もありますが、こちらも役者達が良かった。
 主役は元チビノリダーの伊藤淳史に似ている。
 準主役の男性が、イキナリな感じで男前なのも(最初眼鏡をかけていたのに外したら・・・。銃で狙うのに目が悪いのはダメなんじゃないか、コンタクトは無いはずだし、かけていたのは伊達眼鏡だったというのか?等々考えもできるのだが)、これが必要だったんだよねと、まあ納得してしまいました。

 数年前にアカデミーを取ったハートロッカーなど、私には全然良さがわからなかったですが、この二つの戦争映画は他人にも薦められるかなと思います。


 ついでにこれも観ました。

 リトルプリンス 星の王子様と私

 主人公の女の子が綾瀬はるかに似ているというのが私の意見。
 特典のメイキングを観たら、こまどり撮影は一日かかって映画の1,2秒の分しか撮れないと言っていました。すごい根気のいる仕事ですが、人形を作ったりしている様子をみると、この人達きっとしあわせなんだろうと思いました。
 アニメ映画の面白さとしてはふつう、でしょうか。

準備


 昨日のつづきのようになるが、蝉の死骸を今日もそこらで見た。

 油蝉が多い。たいがい腹を上にして足を縮めて道に死に落ちている。

 けれども三つ四つ見た中の一つは、羽だけだった。
 二枚の茶色い羽が、少し離れた位置にあった。
 胴体の栄養のある部分だけ、誰かが食べたらしい。誰だろう。
 鳥ならば羽ごと飲みこんでしまいそうだし、蟻だろうか。彼らには非常な大物。ヤレウレシイと同時に運搬に人手ならぬ蟻手がたいへん。少しでも軽くしようと、欲しいタンパク源のところから羽を噛み切っていったのだろうか。
 
 蝉は蟻の身体になった。
 野生はよくできている。
 自分が死んだら川に流してくれれば魚などのエサになれるな、と思う。でもそれはかなり難しい。土葬だって今の日本ではダメでなかったか。
 骨にしてもらうまでは、どうしても通らねばならない道だとしたら、やっぱりその後、海にでも散骨してもらうのがいいかなあ。
 焼かれるのと散骨してもらうためのお金だけは用意しとかないといけない。



  

はじまりおわり


 百日紅が満開だ。赤や白や。
 芙蓉は花がらをぼとぼとと足元に落としている。

 今朝孵ったのか鳴き方のまだおぼつかない蝉が朝一番に鳴いていた。しばらくするといつの間にか、独唱は大合唱になっている。
 そうして外に出ると、散歩道には命の尽きた蝉の死骸が、ぽとんとある。

 「特に夏は、夏の始まりは、終わりのことを考えてしまう」とラジオで誰かが喋っていた。


 草むらから、秋の虫風の声がしている。



 

大相撲12日目


 大相撲名古屋場所が終盤に入ってきている。
 テレビはないので、いつもラジオで聴いているのだが、今場所は稀勢の里のこともあり、けっこうしっかり耳を傾けている。

 相撲を聴くと、いつになく、運命なんていう言葉が浮かんで来たりしてしまう。
 スポーツで言えば他の競技だって、とくにもうすぐ始まるオリンピックなんかだと、同じように思ってもいいんだが、相撲は格別だ。
 一人だということ、1分でも長いと言われるような競技であること、それから、演技みたいのではなく戦う相手がいるから。番付があるのもそうだ。だいたい今の世にまげを結って廻しを締めるなんていう人になったところから普通でないんだからなあ。
 子どもの頃は、祖母や父が好きだという理由で何とも思わず相撲を観ていた。記憶にあるのは千代の富士やなんかが活躍していた頃だ。安芸乃島とか双羽黒とかそれから若貴、小錦曙武蔵丸。もっと真剣に観ておけばよかったなー、などと今思う。だいたい、こんなふうに相撲が気になるようになるとは思ってもいなかった。

 今日も夕飯を食べながら相撲中継を聴く。
 気になる取り組みでは口も手も止まるので、食べ終わるのにけっこう時間がかかる。
 何もすることのない自分にはちょうどよい。




 

 

肩幅が・・・


 数年前に買ったタンクトップが出て来ました。

 青や水色の柄で暑い日にちょうどよい感じと思い、身に付けて鏡を覗きました。
 「あ」と小さく言って、すぐに脱ぎました。

 めちゃくちゃ似合わなかった。
 原因は、服の色柄や自分の顔かたちでなく、肩幅。
 肩幅があり過ぎて、ちょっとおそろしいように見えたのです。

 元々私は肩幅が無い方だったと思います。仕事で非常に疲れた時など、肩がいっそう落ちて、「マッチ棒になってる」と言われたものでした。
 それがどうでしょう。
 女性は歳を取ってくるとゴツくなると言います。きっとそれです。
 もう一つ考えられるのは遺伝。
 顔も体つきも父似で今まで来ましたが、母の遺伝子がここへ来て強くなったと考えられます。
 これからもっと肩がしっりし、胸板も厚くなってくるでしょう。

 今朝作った味噌汁は、いつもの大きさでなく、我が母のように、豆腐を小さく切って入れました。



 

 Lady G

 買い物に行ったら、すごい脹脛(ふくらはぎ)を見ました。
 前を歩いていた父娘(3歳くらい)の二人連れ。
 お父さんの脹脛は、娘の頭部くらいはありました。しかもバンバンに張っている。お父さん、全体の体格自体立派だったですが、どうしたらあんな脹脛になるのか。あれは凶器です。あれで蹴られたら大骨折か、死にます。殺人脹脛。


 今日の話はそうじゃなくて”Lady G”なのです。
 LadyGの姿を見たのはこれで2回目でした。
 前回は、スパンコールの文字が洒落た感じで入った白いTシャツにシックなグレーっぽい花柄の少し裾の広がったミニスカート、白っぽいミュールを履いた足首に華奢なアンクレットが光っていました。
 今回は、無地に見えましたがやはり白いTシャツ(ぴったり目の)、白いカジュアルな感じのミニスカート、足元はグリーンの高さのあるサンダルでした。
 それで、LadyGの首から上なのですが、頭には何ということもないような白いキャップで、顔はお爺さんなのです。間違いなくお爺さんです。
 つまりLadyGは、お爺さんなのです。

 前回は横顔をチラッと見ただけでしたが、今回は一瞬ですが、前面から顔を見ました。
 目鼻立ちは印象にあまり残らないような薄い感じでしたが、上品なお顔をしていらっしゃった。
 レディでなく、マダムとお呼びしてもいいかと思いますが、オシャレに着られている服装がお若いので、私は”Lady”とさせて頂きます。LadyGのGは、まあおじいさんのGなのですが、本当は流れるような筆記体で表記したいのです。

 私はまだ2度しか拝見しておりませんが、LadyGはそこらあたりで既に有名なのかもしれません。
 ちょうど歩いてきた警備員のこちらもお爺さんでしたが、LadyGを目に留めるとそれから視線を離せなくなっていました。彼は初めてLadyGを見た感じ。LadyGには不潔な感じが全くなく、堂々としていてオシャレなので、それほど歳の変わらないであろう警備員爺さんは夢を見ている感じになってしまったと思います。

 
 吉本ばななのデビュー作の「キッチン」におかまのお父さん、エリコさんと言ったかな、が出てきます。エリコさんは確か死んじゃいますが、LadyGを見てさっぱりと気持ちの良い性格(私の記憶の中ではそうなっている)のエリコさんを思い出しました。




 
 

 

 海の日です。

 海の日っていつから始まったのだったか、昔からあったっけ?


 実家は車で1時間くらいも行くと海水浴場があった。毎夏、父のドライブで行っていたことは、アルバムに残っている写真があるのでわかるが、記憶というとあまり残っていない。ぼんやり覚えているのは母が握ったでかいおにぎりをお昼には食べたことと、赤い地の花柄の水着がけっこう気に入っていたことくらい。

 海はそれほど好きな方ではないと思う。好きだったらもっと行きたくなるだろうが、「ああ海に行きたい」なんて思ったことない。
 けれども、旅に出た時とか、海を見るつもりがなかった旅でも、視界にぱあっと海が現れると、思わず「わあ!」と言ったり、気持ちが少なからず上がってしまったりする。山は動きというものが少ないが、海は色も波の様子も光も匂いなんかも、場所や瞬間で違うから、こちらが受ける刺激が強いのか。
 広い太平洋の穏やかな濃紺の海もいいが、台風が迫っている時の荒れた日本海は印象に残るものだった。海の色は翡翠色という感じでそれに波の少し濁った白がだわんだわんとうねり狂っていた。ほんとに、海がかき混ぜられているというふうだった。


 海は特別好きでもないが、海の歌はけっこう好きだ。
 うみはひろいなおおきいな つきはのぼるし ひがしずむ
 シンプルだ。


  しかし今朝の風はまたなんと気持ち良いことか。これから34℃にもなるなんてなあ。
 こんな風にいつも触れられていたら、きっと性格の良い人間が多くなるんじゃないか。


今頃


 今朝、蝉が一斉に孵ったようだ。

 ラジオ体操を終えごろんと一休みすると、外でわんわんと蝉の声がするのに気づいた。7年だかの真っ暗な土の中の世界から光の世界へ。しかも7日間だけの。虫に感情はないとしても、あんなにわんわん鳴いちゃうのに納得いく気持ちだ。


 わんわんを聞きつつ、読みかけの本を開く。
 サリンジャーの『The Catcher in the Rye』を、この年になって初めて手取り読んでいる。
 『ライ麦畑でつかまえて』というタイトルで紛れもなく有名な作品であり昔から知ってはいたが、手が伸びたことが無かった。
 16歳の男の子が主人公の青春小説を、その倍以上も歳取った今読んでどんなものかと思ったが、これがけっこう読める。
 村上春樹の訳が合うのかもしれない。
 今三分の一過ぎたところ。まあどうでもいいというようなところもあるのだが、なんとなく読んでいってしまう。そしてやっぱり、十代の頃に一度読んでみたらよかったかなと思う。


 「ペンシーでは土曜日の夕食はいつも同じ献立で、いちおう「ご馳走」ということになっている。」という文章が第5章の冒頭にあった。
 「山田温泉では土曜日の昼食はいつも同じ献立で、カレーということになっていた」と置き換えて、私は2年前の冬にしばし思いを馳せる。
 土曜日のまかないは、業務用カレールウを使った砂糖入りのカレーだった。
 青森出身のまかないおばちゃん、当時74歳はまだ元気だろうか。
 「砂糖なんか入れるなよ」と年下(65歳)のおばちゃんに言われていた。砂糖入りだからかどうか、大半の従業員にはそのカレーは不評で、良く食べているのは私のように短期だけ働きに来た20代の若者たち。翌日どさっと捨てられていたのを見た。
 目の不自由な按摩さんのおじいさんもどうしていることか。按摩を頼むお客さんは今どき滅多にいなくて、おじいさんは食事と部屋を与えられている人みたいになっていた。
 「あいつの按摩なんかただスルスルとなでとるだけで全然きかんわ!」と青森おばちゃんに言われていたが、おばちゃんはおじいさんの面倒をよく見てもいた。


 ふらふらと根無し草で生きてきて、身に付いたものも成長したことも何も無い自分だが、ちょこっとしたこういう思い出だけは幾つかあってまだ想い出せる。




 

きゅうり


 胡瓜をいただきました。
 色が淡くて短く太い”瓜”といった感じのと、イボイボが強く青緑で非常に長い30㎝以上もあろうかというものです。


 一般的な夏の胡瓜の消費量は1人当たりどれくらいなのでしょう。私は一日1本くらい、多いと2本という所でしょうか。
 3本入り胡瓜を買ってくると、2本は家に戻ってすぐに軽く塩をまぶしてタッパに入れます。残りの一本はそのまま丸齧りする、あるいはスライスしてチーズと食べたりパンに挟む等です。
 塩をまぶしたものは使う時に絞ります。酢の物、サラダ、豆腐に混ぜるといった使い方だ多いでしょうか。

 今回頂いた胡瓜のうち、イボイボは確かスーヨー胡瓜と言ったのではないかしら。味の良い品種だったと思うのです。半分塩まぶし、半分はそのまま齧ることにしました。
 淡い色の太い奴はどうしようと考えて、炒めると決めました。
 開封したキムチに酸味が出て来たのでそれを使いたい。他に、初めて作ってみてちょっとダメという判定になった自家製ベーコンと、冷凍してあったエリンギ、残っていた生姜と人参。
油分は、ベーコンから出る脂と仕上げにちょっとの胡麻油。塩分はベーコンとキムチから。味付けは他に胡椒とほんのちょこっとの醤油。

 胡瓜の炒めものというのは、料理本のレシピでも見ますが、なんとなく中国や東南アジアっぽい感じがします。
 考えてみると、余った胡瓜の漬物を炒飯に入れたことは何度もありますが、こうして大々的に胡瓜を主役にして炒め物をしたのは初めてではなかろうか。

 太った胡瓜は中心の種部分をスプーンでほじくるように除きます。漬物なんか作る時もこうすると食感だけでなく持ちがよくなるそうです。
 例えばゴーヤーや南瓜の種も調理の際に取り除くわけですが、あれは捨てますね。けれども胡瓜の種部分というのは食べられるものです。ここでまた考えるわけですが、胡瓜の種をほじくる人は、その後すてちゃうのでしょうか。
 私は「何かに使える」と判断し、小皿に取っておきました。


 夕食に胡瓜の炒め物を食べました。
 胡瓜は縞目に剥いてかか斜めに大き目に切りました。この感じは悪くないと思いましたが、キムチの赤が淡い緑に混じった感じが、ある種の人には気味悪く感じられるだろうと思いました。私は大丈夫。
 味。これが甘かった。胡瓜自体の甘味が炒めることによって引き出されたのか、他の食材の甘味が移ったものかはわかりません。そして何個か口に入れた時、これはオクラの味でもあると気づきました。粘りのないオクラ。


 今日は胡瓜を1本半、普通のサイズで言ったら3本食べました。
 胡瓜の種は葱や紫蘇といっしょに納豆に混ぜて食べました。



 

 

痒い ・ 風


 昨日は久しぶりに蚊に刺されました。

 秋口の蚊は痒みが強いと聞いたことがありますが、昨日の夏口の蚊もしつこい上にたいそう痒かったです。しかもその痒みがなかなか消えない。痒み止めの薬を塗りましたが、今朝まだ痒かったのです。

 いつまでも痒いと、小さく膨らんだ痒みの中心ポイントを歯ブラシでこすりたくなる。
 けれども、こすったことはまだありません。
 以前へその下を使い古したやわらかめの歯ブラシで軽くこすりましたら、これがけっこう痛かったのです。なぜそんなことをしたかと言いますと、そこが便秘解消のツボで歯ブラシでこするとよいなどと言うのを何かの本で読んだからでした。Tシャツの上からこすってもみましたが、「この痛さなら肌の方が大事」という結論になり、止めました。
 というようなことなのですが、蚊の刺され痕はとってもやさし~くこすったらいいかもしれないなとも思います。


 それにしても本日は、曇がちである上に湿度も高くなくてたいへん過ごしやすい日です。
 これはひとえに休まず吹き続けてくれている風のおかげ。

 「生まれ変わったら何になりたいか」という問いに、しばらく黙っていた後、「風かなあ」と言ったおじさまがいました。
 気持ちの良い風が吹くと、おじさまの言葉を思い出します。


明日は Vert Marche


 明日大高緑地公園で開催される予定のVert Marche。
 天気予報は今日になって晴天!になっています。雨マークがずっとついていたのに。

 開催できそうでありがたいですが、また暑くなりそうです。
 暑さ対策をしていらしてください。
 お店は室内か屋根のある所だそうです。


 

夏のみもの


 今朝は涼しかったので朝一番の飲み物は熱いコーヒーにしました。


 雨でも窓は一度全開にします。
 すると半袖短パンの身体が冷えましたが、コーヒーがちょうどよくしてくれます。
 「おいしいなあ」とインスタントコーヒーを飲みます。


 夏の朝の飲み物として今でも時々思い出すのは、友人Aちゃんの実家でいただいた抹茶です。
 もうあれは7年前にもなるのだなあ。
 会ったこともないAちゃんのご両親のご厚意に図々しく甘え、5日間も泊めていただいたのです。

 ある日の朝、お母さんが抹茶をたててくれました。これは朝一番ではなく朝食後でしたが。
 さささっとお茶をたて、とらやの羊羹を切って一緒に出してくれました。
 こんなふうに気軽な感じで抹茶を頂いたのは初めてでした。いいものだなと思いました。
 私もやってみようかなと、いつものようにその時は思ったのですが、7年、やっていません。

 Aちゃんのところでは、庭の手入れを手伝いました。汗だくになった後いただいた手作り赤紫蘇ジュースも美味しかった。
 自分の畑や庭があったらと、ここでまた思います。小さい庭と自分用くらいの小さい畑。
 夏の朝早く起きてまず水を一杯飲みます。そして暑くなる前に畑に出て一仕事やり・・・いや、畑に出る前に抹茶を一杯いただきましょうか。そして畑で汗をかいたあと、汗と埃をシャワーで流して麦茶を飲み、朝ご飯を食べます。朝ご飯には今畑からとってきた胡瓜とトマトももちろんあります。


 そういえば買ってきたパック麦茶の袋に書いてある飲み方を読んだら、”ちょい足し麦茶”として砂糖や塩入り麦茶が紹介されていました。砂糖はエネルギー源の糖分補給に、塩は汗をかいた時の塩分補給に、だそうです。
 でも私はその二つではなく、麦茶ミルクというのをいつか作ってみたいです。


  

麦茶など

 小津の『小早川家の秋』を観ていたら、大旦那に昔の愛人が、「麦茶に砂糖入れますか?」と訊いた。

 自分は麦茶に砂糖など入れたことはないが、理解できる気がする。

 どこの誰だったか忘れたが確かおばちゃんで、でき上がった味噌汁に氷を二つ入れる人がいた。どうしてか尋ねると、「猫舌だから」と言った。
 
 こっちは理解できない、と思った。待てば冷めるじゃんと思った。

 味噌汁に一味唐辛子をバッ!バッ!バッ!と表面が赤くなるくらい振りかける女の子に去年会った。聞けば、辛い物が好きでなんにでも唐辛子をかけると言った。唐辛子味噌汁は美味しいよと言った。自分もやってみようかと一瞬思ったが、やらなかった。まだやっていない。


 ところで麦茶だが、こないだ何年かぶりにパック麦茶を買った。夏はたいがい避暑労働に行っていたので必要なかったのだ。
 水出しできるものを買う。
 こう毎日暑くて家の中に一日中いると、いかに火を使わないようにするかというのは主婦雑誌のように、自分のテーマになった。

 奥にしまってあったパイレックスの1リットル筒型容器を取り出す。
 手をつっ込んで洗う。わたしの手は小学校中学年くらいに小さいので楽に手が入る。節々がごついが小さい。節々はきっとわたしの祖先が農民だったからだと思う。
 「つかみ取りする時多く取れるから絶対大きい手の方がいい」と言った友人がいたが、人生で何度つかみ取りをするものか。
 子供用の手袋だって使える小さな手の方がいいじゃないか。


 井上陽水の『小さな手』という曲を師匠に教えてもらった。
 井上陽水は詩人だ。

 あまりヒマで暑いので詩を書いて見ようかなどと思ってしまう。


 

  今日の雑学
    歯磨きの後、口をゆすぐのは適当に。しっかりこれでもかとゆすぐと、磨き粉の歯に良い成分を流しきってしまうからです。

 




 
 
 

わかるわからない

 朝。
 蝉よりカラスの声が勝っている。
 昨日そう思っていたのだが、それはゴミの日と関係あるのかもしれない。
 今朝は蝉でもカラスでもなく名のわからぬ鳥の声が賑やかだった。


 なんとなく聴いていた英会話のCDで、「日本人の好きな食べ物は?」という質問があり、答えは「寿司と刺身です」と言う。
 
 三歳の頃、わたしはマグロの刺身が非常に好きだったらしい。
 父方の大叔母の家に行くと、必ず出前の寿司を取ってくれた。わたしはマグロばかり選んで食べていたらしい。
 贅沢だと思われたかもしれないが、ご安心を。トロではなく赤身です。わきまえている子どもだと言いたいところだが、トロは注文のランクには入ってなかったはずである。とにかくマグロの赤身が大好きだったそうだ。

 年月が経ち、中学生になった位から、わたしは生の魚が好きでなくなっていった。
 自分の嗜好の法則や原因というのはまったくわからない。
 大叔母の家に行く。または行かなくても、同居の祖母や父が大叔母の家へ行ったときは必ず、余った寿司がわたしのいる家に持ち帰られた。
 祖母やら大叔母やらわたしの3歳の様子を知っている者たちは、ほらあんた好きなマグロだマグロを食べろとわたしに言い、その時は小さい子どものように卵とか蒸しエビとかかっぱ巻きが好きになっていたのだが、わたし用に取り皿に乗せられてしまったマグロ3、4貫をまず平らげなければ卵に行けなかった。祖母らには「もう好きじゃない」が通用しなかった。何度言っても。
 つらかった。
 生の魚を食べるときに匂いというのか鼻に抜ける感じが苦手になっていた。あれは単に新鮮でなかったからなのか。そして叔母の取ってくれる寿司は、ネタが大きいのも厳しかった。今で言う百円寿司のマグロの4,5倍の厚みだった。


 そして今。
 好きな食べ物は?と聞かれて寿司と刺身を挙げる日本人にはなっていないが、ほんの時々回転寿司には楽しんで行くし、刺身が食べたいかなと思うことも年に数回ある。この場合の刺身というのはマグロで、ここに来て三つ子の魂がややよみがえったらしい。実家に帰ると三日いれば一度は刺身を母が用意してくれたりし、ありがたく頂く。

 そして、けれども、なんとなく気づいている。
 自分には刺身の美味しさが分かる舌がない。
 母の買って来てくれたマグロを食べても、それがどの位の美味しさなのか判定できない。今好きな寿司ネタの一つは鉄火巻だが、あれは海苔が美味しければ合格だし。
 味覚の優れた人などは刺身を口にして、「香りがすばらしい」等と言ったりする。
 臭いのはわかるが、刺身のすばらしい香りってどんなふうなのだろう。
 もう一つ好きなネタ、イカ。これはちょっと判るかもしれない。しかしイカならまず見た目の透明感でだいたいの所は予想がつく。
 「私は舌がバカ」とはっきり認める母もイカが好き。他に蟹、エビ。甲殻類ばかり。生の魚は好きじゃない。自分はこの血を引いていると思う。残念だ。
 

 小腹が空いたのでバナナの皮をむく。
 ああ、調度よく熟れたバナナの香りはなんてステキ。



 
 
 

夕食で

 ちょうどよい大きさに切った豆腐を少し深みのある器におく。
 ずっと木綿専門だったが、今年はなぜか絹豆腐に手を出すようになった。
 つるんとなめらかな豆腐の上に、ワカメをのせ、かきまぜた納豆をのせ、小口に切ったオクラをのせる。
 それを器ごと冷やしておいて、風呂に浸かった。


 今日は1週間ぶりにアルコールを摂取する。
 自分はアル中ではまったくないが、アルコールを飲みたくなる体質だ。暑くてもアイス・ジュースは要らないがビールは飲みたいと思う。
 散歩がてら近所の店に行き、迷って買ってきたのはビールではなく缶チューハイ。「甘くない」という宣伝文句に魅かれた。


 風呂から上がり、汗が少し引くのを待って、先ほどの豆腐の皿にさらにキムチを乗せる。これでOKのつもりだったが、思いついて生姜をすりおろしててっぺんに乗せた。生姜は身体を温める食材として名が通っているが、確か生だと冷やすのではなかったろうか。

 その他食卓がすべて整ったタイミングで、「よーし」と言いながら例の缶酎ハイを冷蔵庫から取り出す。冷たいのがあたたまってしまったらイケナイからそうするのだが、今日はおそるることはなかったのだった。
 うどん用の丼の中に氷がたっぷり入っている。この氷は缶酎ハイを買った時に店からもらってきたもので、そのままビニル袋に入ったまま丼の中にある。そこに缶酎ハイを入れておけば、飲み進める間もぬるまらない!というわけ。


 借りてきた小津安二郎の『小早川家の秋』をデッキに入れて流し始める。
 口が待てなくて、すきっ腹にアルコール度数8%の酎ハイを流し入れた。 
 このレモン酎ハイの原材料はレモンスピリッツとレモンだけで、糖質ゼロ、プリン体ゼロ、ついでに甘味料着色料ゼロ等、ゼロゼロ言っているのだが(それも魅かれた点だ)、エネルギーは100ccで46kclある。これはいったいどういう訳だろう。

 一昨日開けたキムチはまだ酸味が出ておらず美味しい。酸っぱくなったのも嫌いではないが。酸っぱくなったら炒飯などにする。
 納豆には酢を入れてある。私は自分で食べる納豆には酢を入れる。随分前に、「納豆・酢・玉ねぎ・チーズの組み合わせが良い」と聞いたことがあって、そうやって食べてみたら嫌いでなかった。何がいいのかは忘れてしまったし、チーズと玉ねぎを用意するのは間に合わなくても、酢を入れるのはバカでもできるというので、そうやって食べるようになった。納豆+酢は勿論塩分がないのでこれでは食べたくないと言う人がいると思うが私は何と言うこともなくそれで食べてしまう。ちなみにあまり美味しいとは言えない。


 空が曇って外気温があまり高くない。気持ち良い風もときどき入ってくる。
 弱めに回していた扇風機を止めた。
 冷えた物を飲むのに、少しの暑さはあったほうが、うれしく飲めるだろう。
 丼の氷はほんとうはビニル袋から出して入れた方が見た目は涼しいに違いない。わかっている。でも袋に入れたままだと、缶の方が濡れないので持つ時にいちいち拭かずに済むのだ。


 ピッチが速いのかアルコール度数8%のせいか、まだ食事の半分いかないところで立ち上がると、頭が少しふあーんとした。
 「ら~ららら~」ああいい気分だ。
 時計を見ると食べ始めて20分は経っているのに『小早川家』の話は3分しか進んでいない。なんだか色々気になることがあって、何度も巻き戻しているからだ。


 350ccの缶酎ハイでは、ちょっと足りなかった。



 

読書で避暑


 アン・クリーヴス著 「大鴉の啼く冬」 を三日で読了。

 433ページを三日というのは、速く読んだなあという感じがするのだが、一日の大半読書にあてているのだから、何もおどろけない。


 ”鴉”はカラスである。
 私は読めなかった。カラスは”烏”しか知らなかった。ウではないし、サギでもないし、シギ?ああカササギとか?と言って、国語辞典で答えが見つけるまで結構時間がかかった。また言ってしまうが、ほんとうに国語が専門だったという過去を消し去りたい。

 
 この作品も「おすすめミステリ」で検索したら出てきたやつで、女性向とあった気がするがそうだと思う。
 舞台はイングランドのシェトランド島。あのシェトランドシープドッグのシェトランドだ。
 事件が起こるのは真冬。世界は雪の白で覆われ、外に立っていれば足元から凍えてくるような場所。
 殺人事件という話の内容とこの舞台設定は、きっと脳内にまず影響し、なんらかの冷却効果を与えてくれたのではないか、実際に確認できるほどの身体的変化はなかったけれど。

 話も面白かった。人物や舞台の様子もよく描かれている。
 こいつが犯人ではないか、いやこいつか、なんだこっちも怪しいじゃないか、というように多くの人物が思わせぶりに書かれているのだが、結局最後はああそうだったですか、というふう。私はまあ上手く騙されてしまった。


 で、次に手に取りつつあるのが、カミラ・レックバリ著 「氷姫」
 タイトルからして避暑合格だが、こちらの舞台は、スウェーデン。
 スウェーデンはミステリ大国だそうだ。
 スウェーデンといえば映画にもなった「ミレニアム」 面白かったな。(映画は観ていない)
 著者が亡くなって、彼の共同著者であった女性の手によって、続編がもう出されたらしいが、前作のような刺激とスピード感は若干ゆるくなったらしい。
 「氷姫」は人口約900万のスウェーデンでミリオンセラーになったらしい。
 今夜からまた涼しみながら愉しめそうだ。



 

暑いけれども


 昨日の夕立は、ただありがたく、けっこう強くしっかり降ってくれたので、寝入りは非常に快適だった。

 それでも夜中に蒸し暑くて起きてしまったのは、ここがマンションの3階だからだろうか。建物にこもる熱はあの雨よりも上手だったのか。
 夜中に暑くなってしまうのは、一応防犯を考えて玄関ドアを閉めるのも理由だ。

 日中はもうこの夏は、あけぱーぱーというやつだ。防犯も、向かいの立派なマンションに生じるであろう視線も、気にしないことにした。だからパンツ一丁とか素っ裸ということはできない。

 この部屋のよい所は、蚊がめったに来ないこと。
 網戸をするだけでも風の通りは弱くなるので、ほんとにあけパーパーなのだ。だからここに入ってこようと思ったら、蚊は入りたい放題なのだが、数年前にマンションの周りの植木をすべて伐採してしまってから、ぐんと蚊の発生が少なくなった。

 それでも時々現れるので、今年は家にずっといるはずなので、蚊取り線香を買おうかなと考えていたのだが、薄荷油が蚊よけに効くと言うではないか。
 以前師匠から頂いた本物の薄荷油「北見薄荷 取卸油」
 だいじに取ってあったが、今こそ使う時かもしれない。
 水で薄めてスプレーボトルに入れれば、蚊よけになり、その香りと清涼感でこのうだる暑さを忘れる爽快感を与えてくれるそうだ。
 暑い夏だから愉しめることを楽しみたいと思う。

 「こっちも扇風機だしたよ。今年は去年よりやっぱり暑い。去年はひと夏で34℃いった日はなかったけど、昨日35度近くいっただに。もう暑くて何もする気がせん。テレビも面白くないし本も読みたくないこれじゃあ。水飲み過ぎてお腹がおかしくなるし」

 電話で、3年日記をつける母が言った。
 「そんでも工事の人とかなんて、真っ黒になっちゃって、どうなっちゃうかと思うよほんとに」
 と続けて言ったが、確かにこんな天候で外仕事をされる方々は大変だろう。
 けれども、あの方々は、非常な幸福をある意味炎天下で働いている時から得始めているのだ。
 仕事を終えて家に帰り、汗と埃でぐしょぐしょになった服を脱ぎ棄て汚れを流した後、頼もしく確実に冷えた缶ビールを取り出す時の喜び、それを一気に疲れた身体に流し入れるときのヨロコビは、いったいどんなものでしょう。
 そしてきっと、彼らはきっと何リットルもの水分をとりつつ、炎天下の仕事に耐えられる肉体を持っているのだ。あ、これは過ぎし日の師匠の話でもあった。


 来年の夏はわたしだって炎天下肉体労働だ!と思っている。



 
 

涼しむ甘味

 ♪むかしアラブのえらいおぼうさんが・・・

 カーラジオから聴こえてきたコーヒールンバは、福山雅治が歌っており多分自身のギター伴奏。あの独特ともいえる低音ボイスとのったり~とした調子が「ちょっとふざけてるのか」と言いたくなった。


 昨日アイスのことを考えていたら、あれも好きだったなと思い出した夏の甘味がある。
 それは、水まんじゅうです。

 水まんじゅうというのが、何からできているのか正確なところは知らない。たぶん葛ではないかと思う。あの弾力のあるぷるんぷるんした感じ。わらびもちとは違うし寒天の類でもない。
 むかし母が看護学校に勤めていた頃(わたしは高校生になっていた)、仕事帰り暑い時期に時々持ち帰ってきてくれたのが水まんじゅうだ。何かの会議がある時に母は多めに買っておいて、それをお土産にしてくれていた。

 ”水”を表す透明の肌。厚みをもったそれはもっちりぷるんぷるん。その肌の内側に赤いこしあんが丸く包まれているのが透けて見えている。
 水まんじゅうは少し頑張って飲みこもうと思えば一口で飲みこめる大きさだ。しかしそうすることは、水まんじゅうに対しては無礼になる感じがする。ピノという一口サイズのアイスがあるが、あれを三つ一度に口の中に入れるのは無礼にはならない気がする。
 和菓子であるのでクロモジがベターだったかもしれないが、私はステンレスのテイースプーンを持ってきて、水まんじゅうの丸みを帯びた頭部に差し込み一気に真っ二つにした。中のこしあんがはっきり姿を見せたところを、二口、つまり半分になったのをパクッ、パクッ、おしまい、というわけだ。そんなふうな食べ方でも、その舌触りやのど越しがとても気に入った。

 思えばもう20年か水まんじゅうを食べていない。
 なにかすごく頑張ったときに自分で買ってみるという可能性はあるかもしれない。そうでなければ、どなたかがくださるのを有難く頂戴するという菓子だ、わたしの中では。


 
 透明な夏の甘味つながりで、心太と葛きりがある。
 これらは大きくなってというより大人になってから口にした。
 心太はひと夏に二度くらいは、あのパックで売っているやつ(酢醤油の)を食べる。
 葛きりは片手で数えるほどしか、食べたことが無い。
 この両者とも、食べるたびに、「なんかどうも・・・」という納得のいかなさを感じる。なんかもっと「これこれ!」というふうになるはずだったのに、何が違うのかというふうなのだ。
 心太はスーパーの1パック百円だからダメなのかもしれない。本物の心太、甘味屋で500円くらい?するほんものの心太ならば納得するかもしれない。
 しかし葛きりは、何年か前に母と金沢に行ったとき、金沢美術館の近くにあった小さいがわりと感じも良かった甘味処で食べたのだ。
 平らな黒い鉢のような器で出された葛きりは、あくまでも濁りのない大き目で不揃いの氷とともに涼しげに静かに水にあった。
 ほんとうはしないけど、上品な風鈴の音色が聞こえてきそうな姿だった。
 そえられた黒蜜をかけていただいた。
 食べ終わるまで、母も私もその葛きりに関することは何も喋らなかった。
 葛きりというものは、私の手におえないものなのだろう。我が母にも。



   DSCN0560_convert_20160703131958.jpg
 水まんじゅうと葛きり。



 「心太」
   平安時代・・・ココロブト
   室町時代・・・ココロテイ
      → → ココロテン
   江戸時代・・・トコロテン
 


 

 
 

なつかしむ


 今日もまたちょっと動いて寝転がると、かすかに蝉の声が聞こえたような。


 梅雨はまだ明けないと言うが、いや暑い。それでもまだエアコンは稼働させてはいないが、我が母はまだ扇風機も出していないらしい。
 「去年は7月11日に出して、一昨年は7月1日だった」
 3年日記だか5年日記を付けている母は言った。
 「今年はまだ大丈夫そう」だそうだ。豊橋の気温の方が名古屋より2℃くらい大抵低いからだろう。


 そんなんで、以前読んだ「ひんやりと、甘味」というエッセイ集をまた借りてしまった。
 この中で一番多く書かれているのはやはり、アイスクリームだ。

 もともとアイスクリームが好きだったのだが、数年前からあまり食べたいと思わなくなってきた。あの口の中に広がる甘さを想像するだけで、もう十分という気持ちになってしまう。今の私には、凍らせたバナナくらいがちょうど良い。

 それでもいろんな人のアイスクリームの思い出話を読んでいたら、わたしも子どもの時分に食べた様々なアイスのことを思い出した。

 
     アイスの絵


 左上のは、牛乳アイスと言ったかミルクアイスと言ったか、思い出すに、ザ・牛乳というのがテーマといった味だった。銀紙のような紙に包まれていた。一本30円だった。

 真ん中上のは今で言うガリガリくんに近い。アイスではなく氷菓。ガリガリくんとの違いはガリガリくんはその胴の中がまさに氷状にガリガリしているが、これは体全体が同じテイスト。ガリガリくんはまったく進化している。水色のソーダ味が主力だったが、私はやわらかい緑色の青リンゴ味が好きだった。一本50円と記憶する。

 右上のはアイスキャンデーというのか、細長くてミルク味とコーヒー味があり、私はコーヒー味が好きだった。いくらか覚えていない。

 左下はコーヒーフロート。これは今現在でも売られているのを、今日買い物に行ったときに確認した。一つ60円くらいだったので驚いた。昔の方が高くなかった?そう思うのは、私がコーヒーフロートを食べるのは、動物園に連れて行ってもらった時だけだったからかもしれない。園内価格は高いということか。外側のコーヒー味の氷の部分を周りの方から削りながら食べていって、真ん中の白いアイスの部分を最後まで残すように食べていた。でもあれは、両方を一緒に口に入れるのがおいしいのではないか。ちょっと今度買って確かめてみたい。

 下のハートや花型のと△状のやつは、家で祖母が作ってくれたか弟と自分らで作ったかしたもの。ハートや花のはミルキ―なパステルカラーで味もそんな感じだったと思う。これ、シャービックと言っただろうか。△状のは凍った牛乳&練乳という味と食感だった気がする。



 ああいろいろ懐かしい。
 「懐かしさが美味さにつながる」と誰かが書いていたが、これらの思い出のアイスを食べたら自分はどれほど美味しいと思うだろうか。


 とりあえず今食べたいのは残念ながらアイスではなくてスイカだ。


 
 酵母お茶

 人参酵母の次にヨーグルト酵母を作ってまた失敗し、今緑茶でトライしている。
 これがダメならもうイーストに手を出しちゃう。


暑いです


 朝6時前目覚めると、身体全体にじっとり汗をかいていた。

 天気予報で暑くなると言っていたが、朝から暑くならなくてもいいだろうにと思う。


 軽いストレッチをでも更にふきだす汗。昨日冷やしておいたウーロン茶をコップに2杯飲む。

 散歩に出ると7時前にぎらつく日差し。ああくいう季節になったんだ。朝の散歩は5時台にしなければ。

 ご飯の用意をしながら洗濯物を干して少し横になると、開けた窓から入る涼しい風が頭をなでた。どうもどうもと呟く。


 朝食後に熱いコーヒーを飲むと、額に流れる汗。

 昼食は冷蔵庫に残っていた味噌汁と玄米の冷やご飯。それに作り置きのおかずを少し。
 味噌汁は温めずにすする。冷えた玄米ご飯は若干パサパサしたが、湿り気のある豆腐のおかずを混ぜて食べた。途中思いついて酢漬けにした赤玉ねぎを取り出しこれも混ぜる。さっぱり。夏はすっぱいものがよくなるのだった。そして、もう一つ思いつき、ベランダに出て、小さな鉢植えに生えている青シソの葉を2枚ちぎり、それをさらに小さくちぎってこれもご飯に混ぜた。一口食べて再び立ち上がり胡麻を投入。

 大概このようにわたしの1人の食事風景というのは、落ち着かないことが多い。

 そういえば青シソだが、これは実家からもらってきたものだ。
 元気にやわらかく青々していたものを持ってきたのだが、家に来た翌々日虫が付いたのに気付き、以前漬けたニンニク酢があったので、これは虫よけになるはずと適当に水で薄めて霧吹きで吹きかけた。その数時間後ふとシソに目をやると、付いている葉の先が茶色く焼けちじれたようになっていた。ニンニク酢が強すぎたのか。もう手遅れだったが、一応真水を頭からぶっかけてやり、霧吹きに残っていたニンニク酢希釈水を「こいつが!」と非常に自分勝手に言いながらぶちまけたら、手が滑って霧吹き自体が吹っ飛んで、ベランダのコンクリートにぶつかって穴が開いた。

 今日ちぎった二枚は生き残りでありやっぱり先が茶色くちじれ、その形はきれいな紫蘇の葉ではない。もうダメだろうと思っている青シソだが、脇芽というのか、新しい小さな葉が少し出てきた。これらの命を大きくなるまで大事にし、しっかり味わってやりたい。
 シソの足元にダンゴ虫を見つけた。
 ダンゴ虫はなんとなく害虫という気がするが、頭隠して尻隠さずのような体勢でちょっとだけ土に体を沈めてじっとしている姿を見たら、そこにいなという気分になって見過ごしてやった。






 



プロフィール

isoginchaku

Author:isoginchaku
名古屋市緑区在住。たった一人の弁当屋。
只今休業中。

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