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ちょっといい



   海苔巻人参ごはん


 残り物で海苔巻を作る。

 ご飯も具もすべて残り物。違うのは海苔だけ。

 ご飯の量が多すぎたか、巻くのにやや失敗。でも切って並べれば、海苔巻はそれなりに見栄えよくなるものだ。海苔巻はここがいい。
 
 味の方は、ちょっとぼんやりしていて、もう一つだったが、胡麻をふったり醤油をつければヨシ。海苔巻は、普通のご飯でないから、それだけで気持ちが違ってくる感じがする。一人静かなご飯でも、なんとなくちょっと楽しい。


 海苔巻はときどきやるに、ちょっといい。


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不器用

 「不器用ですから」というのは言わずと知れた高倉健さんの決め台詞?です。

 この不器用というのは、人間関係におけるものと思われるが、そう言ったら、自分にもそういうところはあるかもと思いました。

 八方美人のO型なので、本当に全く通じ合う所のかけらもない相手でなければ、わりとどこに行ってもそれなりにうまく立ち回る方ではあります。けれども、それで返って己自身が大変になったり、しんどくなったりすることもあります。(そういうことがあったような気がうっすらする)
 つまり、小器用で不器用。

 健さんのように、どうにも不器用な方が、もしかして生き易いってことももあるかもしれません。

 まあどちらにしても、基本的日常生活において、片手の指が余る位の人間としか関係していない自分には、不器用も小器用もまったく関係ないことではあります。


 付け加えてもう一つ、「不器用ですから」とはっきり言える健さんは、人間関係まったくの不器用ではないのでは?


  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。


 今食べたいもの。 豚ばら肉とふきのとう。

 

ぬまのくん


 沼田まほかるという作家の本を師匠が読んでいるそうだ。私は名前も知らなかった。ホラー小説らしいので、薦められはしなかった。

 まほかるという変わった下の名前より、私は、「沼」かあと、苗字に沼かと思った。


 そしたら、同じ小学校に通っていた男の子のことが思い出された。
 男の子は、沼野くんと言った。
 確か2年か3年生の時同じクラスになったような気がするが、当時は、「ぬまのくん」と、ひらがなの感じで呼んでいた。

 ぬまのくんは顔も性格も穏やかというか、けっこう地味目だったと思う。
 けれども、クラスで、いや多分4クラスあった学年中で彼にしかできない技を持っていた。鉄棒の技。

 「筋肉回し」だ。

 筋肉回しは、鉄棒に背を向けて立ち、鉄棒に両腕を上から乗せるようにひっかける。そして地面から足を離して何度かぶらんぶらんとやったのち、エビぞりをする要領で背面回りをするのである。

 ぬまのくんは、これをいつ終わるのかというくらいぐるんぐるんと回ったように記憶する。
 ぬまのくんは、穏やかな顔に加えて、ちょっと顔色が良くなかったので、そんなに回って大丈夫なのかと思ったものだ。

 まだ小さいと言える2,3年生でこれができたのだから、ぬまのくんはすごい。


 小学生や中学でもまだ、運動神経がよい男子はモテると言われるが、ぬまのくんは唯一筋肉回しができる男の子だったけれど、走るのは飛びぬけていなかったからか、女子人気はそれほど目立ったものではなかったかと記憶する。


 ぬまのくんとは、小学校6年間でその一度か二度同じクラスになったが、それだけだ。中学校は1学年630人ほどもいたので、すれ違うこともなかったかもしれない。

 筋肉回しのぬまのくんのことなんて、一生思い出さなかった確率の方が高いと思ったけれど、こういうこともあるのです。






 
 
 

駆けたい


 配達を終えて車をゆっくり走らせていると、川沿いの遊歩道を歩く人、ジョギングする人を何人も追い越しすれ違った。


 暑い位の陽気で、道路沿いの桜はまだ5分にはいかないが、どんどん花開いているし、雪柳はびょんびょん突っ立って満開だし、とにかく青空の下走るのは、非常に気持ちよさそうに見えた。

 走りたい私も。半袖で軽やかに駆けたい。小汗を気持ちよくかきたいな。かなり強くそう思った。

 小学生たちは春休みで平日も休日もなく公園などが賑やか。自分には関係ないけど、休みの人間が多いのはいい。

 そういうのもあってか、気持ちが勝手に浮いているのかもしれない。

 花粉症が治まったら、マスクなしで駆けよう。

 いや、「駆ける」は速く走るという意味のようなので、止まらない程の速さでゆっくり走ろう。
 ひと月くらい後かなあ。







 

のびるのがはやい



  大根干す


 「髪がのびるのが速い人はスケベ。爪がのびるのが速いのはナマケモノ」

 私の爪はここのところ目立って伸びるのが速いように思う。小さい頃に聞いたこの言葉は、果たしてまったく当たっているようだ。


 写真は大根を干したもの。すぐに食べ切らない分をぶつ切りにして干した。切干みたいに細く切らなかったのは、煮物に使ってみようと思ったから。

 天気の良い日に2日間外に出しておいた。
 使う時までビニル袋に入れておこうとしたときに、空腹を感じて、ぶつ切り干し大根を一つ口に入れた。

 いけた。

 そのままでもほんのり甘さのある瑞々しい大根だったが、水分が抜けることによりその甘さが間違いなく一層増している。細切りにしていないので、戻さなくてもぽりぽりと漬物に似た感覚で食べられてしまう。もう一つ、二つ・・・と止まらなくなって、ザル一面に広げたうちの三分の一は食べてしまった。

 しかし、昨今の食べ物は甘いのがうまいように言われることが多いが、野菜もやっぱり甘くなっていて、糖尿病を気にする人たちは、昔より糖度の上がった野菜や果物のことも考えなくてはならないとか。おやつに甘い干し大根はまず、健康的でしょう。死んだ明治生まれの倹約家ばあちゃんがまったく喜びそうな話だ。






すずめとおじさん

 『ハトにえさをやらないでください』という看板があるところで、朝、一人のおじさんが、川の鯉にえさをやっていました。

 鯉ならば問題ない。

 おじさんが放っているえさは、軽いせんべいのようでした。おじさんは無言で放っていました。


 そこへ上空から雀が一羽やってきました。おじさんから一メートル弱ほど離れたアスファルトに着地。
 
 おじさんは下方の川を見下ろしていたようでしたが、ちゃんと雀に気が付きました。おじさんはせんべいを割って、雀の方へ放りました。ややおじさんよりの地点にせんべいのかけらは落ちました。

 すずめは、「チッ!!」という結構大きな声を上げながらぴょんと飛んで、せんべいを素早くつまんで飛び立っていきました。あの「チッ!」は、「ヤッタ!」もしくは「アリガト!」それとも「ヤッホウ!」。

 鯉には無言でせんべいを放っていたおじさんも、「おおう」という声を出しました。呑気で明るめな声でした。

 このような雀がいたら、ペット要らないかな。



 ペット雀は、雀だからよろしい。

 これが鳩では、そううまい具合にはいかないでしょう。
 
 いつか、駅のプラットフォームで電車待ちをしながらおにぎりを食べていたときのことを思い出します。
 味付けした大豆を混ぜ込んだおにぎりでした。

 そこへ一羽の鳩が舞い降りてきました。私の足元かなり近い所です。もうここから、鳩は雀よりずうずうしい。私なんか初対面なのに、何かしらもらえると思っている。

 まあそうは思いながらも私もヒマだったし、「巡り会わせ」なんてことは思わないまでも、大豆を放ってあげました。
 鳩はもう素早く飲みこんだ。
 そうして、飛び立っていかない。雀なら飛び立つのに。一歩ゆずって飛び立たなくてもいいから、「フォロッホウ~」というのを一声聞かせてくれてもいいだろうに。黙ったままいつまでもその辺りをウロウロしているのです。

 「まだ欲しいのか」と言いながらも、私はもう一粒、あげました。と思ったら、空から別の鳩がいきなり降りてきて、私が放った豆を横からバクついたのです。横取りしたそいつは、先ほどのよりだいぶデカくてまるまるしていました。
  もう一粒、私は一番鳩に向かって放りました。
 「アッ!!」
 2番手のデカ鳩が、一番をくちばしで突っついて追い払い、豆を飲みこみました。
 「おい!!」私は声をあげました。電車待ちは他に誰もおらず、自由に声が出せたのです。

 いつの間にか他にも2,3羽の鳩たちがその辺りをウロウロウロウロしていました。ですが、2番のデカ鳩はとにかく皆より一回り二回り大きく、威張っており、私が豆を放らない間にも、周りの鳩たちを突いて威嚇し始めました。
 私は食べかけのおにぎりをしまい、荷物をかついでその場を去りました。


 と、こういうように、鳩は凶暴性が強い。凶暴でないやつでも、あのウロウロはあまり可愛げがあるとは言えない。「チッ!」と言って飛び立たないし。



 のんびりした鳩の鳴き声はけっこう好きですが、近づきになるならやっぱり雀です。
 舌きり雀の話もあるくらいだから、雀は昔から親しみのある鳥類だとみてよい。


 せんべいを放っていたおじさんは、鳩にも放ってあげるのかな。
 あ。「鳩にえさをやらないで」って看板・・・
 雀はよくて鳩はダメ。
 やっぱり鳩はだめなのですね。



  



朝ごはん


 夕食はかなりゆっくり食べますが、朝食はそんなことはありません。30分かかるかどうか。


 今日は玄米麦ごはんを炊きました。師匠に頂いた圧力鍋でです。
 家には9リットルのでかい圧力鍋はありましたが、それだと4合位炊きたいときには大き過ぎます。熱量がもったいない。
 玄米は昨日から湯に浸しておきました。発芽玄米にするにはもう少し置いとかないとなりませんが、その目論見はなく、少し柔らかく炊けないかということで浸したのです。


 ご飯が炊ける間におかずを用意。朝はやっぱり汁物が欲しくなります。今日は冷凍しておいた残り物の参鶏湯スープを昨夜解凍しておいたもの。その他のおかずはこれも残り物シリーズで、焼き鮭、ひじき煮、炒り豆腐。ひじきは作って一日置いた頃がおいしいですね。炒り豆腐は卵を加えれば老人にも食べやすくなると思いますが、今回のはポロポロです。動物性のものは鰹節しか入っていません。くず野菜と豆腐でできています。私はこの炒り豆腐が好きです。ちょっぴり入れた生姜が効いています。

 玄米麦ご飯が炊けました。この2日間で食べる分は大き目タッパに入れます。残りは小さいタッパやラップに包みます。
 今から食べるのはもちろん茶碗によそうのですが、よそったらすかさず残り物焼き鮭をご飯の中に突っ込みます。この鮭は二日前に焼いたものでちょっと干からびていた。そこで、炊き立てご飯の中で蒸らしましょうという魂胆です。


   小山さん茶碗で玄米麦ごはん


 この茶碗は1年前位に自分で買ったものですが、失敗買いという気持ちがあって、ほとんど使っていませんでした。ぼんやりした水玉模様がなんとなくカビがふわふわ浮いているみたいと思ってしまったことと、形がちょっと田舎臭い感じが・・・。しかし今朝思い出して使ってみたのです。

 わりといい感じではないですか。きどってなくて、やさしげな春のような色合いも。ご飯を入れるとカビ水玉もほとんど見えませんし。この茶碗を作られた作家の方のものを他にも持っているのですが、そちらは気に入っていて、だからこのぴんく茶碗も近寄ることができて良かった。土物は使っているうちに変化しますから、より寄り添える方に向かっていけばいいなと思います。

 
 そこで朝ご飯では自分はどうしているかと目立たぬように自分観察をしてみたところ、朝は座卓ではなくテーブル椅子で、ラジオを点けながらただぼんやり食べている。一口目の汁物をすすった時は、たいてい深くため息をつく。おいしければ「美味しい」と言う。あとは自分の咀嚼音を聞いている。それだけでした。鮭はうまいこと蒸らされて満足しました。







食べ物の本

 山茱萸が咲き、木蓮が咲き(木蓮は今年白も紫も同時に咲き出したみたい)、コブシが咲き、雪柳、レンギョウが咲いて、桜までもう花開いてきた。

 賑やかな色の季節。

 暖かくなるにつれ、食欲も元に戻りつつ、いやそれ以上になりつつある。
 よりハズミを付けようと手に取った本。


  
ぷくぷく、お肉 (おいしい文藝)ぷくぷく、お肉 (おいしい文藝)
(2014/02/26)
阿川 佐和子、開高 健 他

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 肉・肉料理について書かれている随筆が集められている。一番古い人は1889年生まれの内田百閒、新しいのは川上未映子で1976年生まれだ。伊丹十三、吉本隆明、檀一雄、村上春樹、山田太一といったところも入っているので読む気になった。まだ最初のすきやきについての何品かしか読んでいない。すき焼きに入れる野菜のことを”ザク”と呼ぶことを初めて知った。すき焼きにはあまり思い入れがないためか、読んでもそれを食べたい気持ちは起きなかった。我が家では邪道というか吝嗇な祖母の支配下に台所があったためか、入れる肉は豚肉だった。それでもすき焼きと呼べるのだろうか。今思い起こすに、豚肉の中でも安いこま切れではなかったか。だから鍋にすると固くなった。そしてそのせいかどうか、肉より葱、しいたけ、豆腐、えのきといった”ザク”好きになったのではなかろうか。



  
世のなか食のなか世のなか食のなか
(2013/02)
瀬戸山 玄

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 同時に借りた本。中に載っている駅弁の写真に惹かれた。竹皮製の弁当箱が一層中身を美味しく見せる。お弁当の中身はほぼ野菜のみ。
 その他、こちらの本には肉を含めて動物性食品を食べない野菜屋さんが。力強い生命力のある野菜を食べていたら、肉や魚なんかはほんとに要らないのかなと思う。
 納豆屋、缶詰屋、マヨネーズ屋、米農家、酪農家、定食屋・・・

 「食べる」ということを考える。自分が食べること、他人が食べること。



読み放題

 ほぼ毎日、本読み放題の生活を送っています。


 「暮らしの手帖」は好きでよく読む雑誌ですが、一番読むのにいいのは、休日の昼間です。天気が良ければなお良い。

 晴れた休日は出掛けたくなる、ということは私にはありません。ほぼ毎日休日のようだからでしょう。 

 昼というのは何をしているのか、よくわからないうちに過ぎていきます。昨日は気付いたら午後4時で、その気になったので散歩に出ましたら、日差しがとても弱く頼りない空気が広がっていた。4月中旬並みの昼間でしたが、夕方はまだ夏から離れているなと思いながら歩きました。


 5時くらいに夕食を摂ります。
 本格的デジタル放送になったので、テレビは見られません。ですので、録画してあったビデオを見ながら、ゆっくり食べます。一時間はいきませんが、それに近いくらいの時間をかけます。ごちそうをたっぷり食べているのではありませんが、ぼにゃりしたり、途中で立ち上がって何かしら他のことをやったりするのでそうなります。ワインも飲みます。小さなグラスに一杯。

 録画してあったのは、映画『幸福の黄色いハンカチ』でした。追悼高倉健さんで放送されたのです。出だしの場面が武田鉄也だった。もう何回も観ているけれど、やはり鉄也の作品です。今回はチョイ出の渥美清とかタコ八郎などもよく見ました。タコ八郎は確かボクサーだったですね。パンチのフォームができている。


 夕食前にお風呂に入るので、食べ終わるともうやることはありません。録画ビデオも観る気でなく、絵を描く気もないし、ということで、また本に手がのびます。

 一日頭を使っていないのに、この時間帯はさらに頭を使わずツルツル読めるものがよろしい。それでこないだから東野圭吾を読んでいます。ツルツルです。ツルツルしていると寝る時間に持ち込んでくれているので、とても有難いです。
 



車谷長吉の人生相談 人生の救い (朝日文庫)車谷長吉の人生相談 人生の救い (朝日文庫)
(2012/12/07)
車谷 長吉

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 これは先日読んだ平松洋子の『ひさしぶりの海苔弁』で紹介されていた本です。
 車谷長吉という人は、確かに稀有な方です。

  

自慢話ばかりしている人は、それ以外には生き甲斐のない人です。精神性の低い、脳みその皮が薄い人です。これは生まれつきの性質なので、死んで、寡黙な人に生まれ変わる以外に、救う途はありません。そう生まれ変わるとは思いませんが。



 「脳みその皮が薄い人」というのに私は反応しました。自慢話する人は脳みその皮が薄いという、こういうのは、どうやって出てくるんだろうと興味がわきます。


 
 平松さんの2番煎じですが、ちょっと読むのに面白いです。救われるかどうかはわからないですが。


 

血は四カ月で


 人間の血液は、約4カ月で入れ替わるそうです。

 もと優秀看護婦の母に寄れば、「赤血球は120日、白血球は数日で替る」そうです。


 ということは、わたしの血の中にはまだ、余所様がいます。
 あ、それでかな、と思いました。風邪がこんなにも治らないのは。
 鼻水は止まりましたが、痰がからむ咳がまだ出ます。ほんとうにしつこい。
 しつこいタイプの方でもあったのでしょうか。


 それにしても、献血の素晴らしさ・有難さをひしと感じたのでもありました。自分が献血できるほどになったら、きっとしたいと思います。O型の血液はけっこう足りているという看護婦さんのお話でしたが。


 花粉症の症状が目に来ています。いつも鼻も酷いのですが、そちらはあんまり。これも余所様の血の関係かもしれません。
 血液は、汗や尿に混じって少しづつ排出されるのですが、動物の身体というものは、よくできておるですね。






 

走るようこさんと海苔弁



   
ひさしぶりの海苔弁ひさしぶりの海苔弁
(2013/10/25)
平松 洋子、安西 水丸 他

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 安西水丸の絵に惹かれて借りました。水丸氏ももう70歳を越えられたのだが、「水丸だ」とわかる味のある且つ気の抜けた絵を描かれていらっしゃる。まあ今時の70台はまだ若いですが。


 週刊誌に連載されたものをまとめたこの本の平松洋子さんの文章は、走っています。ちょっと追いつけないところが、私にはあります。
 月に一度、日曜の朝に洋子さんはラジオで食に関する話をされていますが、あのゆったりした、幾分多めに空気が入っているような話し方や声を聴いているので、この文章とのズレ具合に、無意識に違和感を感じてしまっているのかもしれません。
 それともこちらの心身の健康状態が万全でないからでしょうか。

 けれども随分長引いた風邪でしたが、明日辺り、完治の様子を感じます。かれこれ2週間以上もずるずるとしたのは、人生初でしょう。



 簡単に読める文章を、飛ばし飛ばししているので、あっという間に半分以上読んでしまいました。

 そして、昨日読んだところに”海苔弁”が出て来たので、わたしも今朝作ってみました。


   海苔face弁当


 平松洋子さんが東京駅で買い求められた千円海苔弁は、名の知れた高級海苔や鮭と、煮物やきんぴらなどのおかず入り。ご自分で作られたものには、卵焼きとお漬物。わたしのは、入れるおかずがなかったので、顔にしました。

 醤油をまぶしたおかか(これをご飯にかけた時のまあいい香り!)と海苔を2段重ねにした平松方式ですが、海苔はべったり置くのではなく、ちぎったものを敷き詰めました。こうすると、箸で取った時に一口分づつ取りやすいから。これは前に読んだ雑誌か何かでで知ったことです。


 わたし自身には、海苔弁になんの思い出もありません。我が母は海苔弁を作る人ではなかったし、高校時代自分で弁当を詰めていたときも、海苔弁という発想は一度も思い浮かばなかった。というより、あの頃、海苔弁というものがあることを知らなかった気がします。周りの友人にも、海苔弁を持ってくる子はいなかったのでしょう。


 今回作った海苔弁、人生初かというとそうでもなく、随分前に一度なんとなく作った記憶があります。でも、どんな感じでどんなふうに味わったか、何も覚えていない。


 この顔海苔弁は、夕食にするつもりで今、馴染ませ中です。
 ちょっとおかかが少なかった気もしますが、海苔は千円海苔弁に勝るとも劣らないと思われる美味しい海苔ですので、その威力に期待します。海苔だのみの海苔弁です。



 

手が出る


 若干残る風邪の他は、体調が元通りになったようです。ラジオでケーシー高峰が言っていたけど、今流行のは、痰がからむ風邪だそうだ。その通りだと、それに加えて鼻水だと、ほんとうに珍しく風邪などひいている私は思いました。


 体調が戻ったしるしの一つは、アルコールに手がのびたことです。
 朝晩はまだ少し冷えるということもありますが、そういうわけで、一昨日あたりから焼酎を晩酌に飲んでいます。とは言っても、”薬”になるかならないかという程の少量なのですが、アルコールを飲んでいるのは間違いなく実感できるので、たのしめています。

 飲んでいるのは残っていた屋久島焼酎 三岳です。
 酒飲みだった父をまねて牛乳で割ってみました。
 ウーロン茶でも割ってみました。どちらも温かくしてです。
 いずれも悪くないですが、やっぱり普通にお湯割りが一番ということになりました。焼酎の香りがちゃんとわかるのがよい。
 ただの牛乳やお茶や湯が、ほんとに少しの焼酎で、「ふふ」というような一人笑いを産み出す飲み物になるのです。いやありがたい。

 
 そこにアルコールがなければ飲まないでも全く問題ないというように、私はそれほどの酒好きではないのですが、男で身を滅ぼすことはきっとないので、ならば酒に溺れるようなことになったら、何かしら人生ドラマが生まれるだろうか、などと風呂掃除をしながら思いました。「そんなドラマ、大馬鹿ドラマだよ」と母に言われることまで想像しました。たしかにドラマは違うところで作りたいか。


  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。  。



  


 実家に帰っていたので、お雛様を撮りました。

 こうして写真に撮ってみると、我が家のお雛様は、かなり丸いお顔と身体であるとわかりました。
 可哀そうに、ほっぺたに墨かなんかの黒い点が付いてしまったお雛様。私はこの雛さんが好きです。


 お雛様というのは、自分にふりかかる災厄を身代わりになって受けてくれるのだそうです。だから、お雛様になるべく触ったほうがよいのだとか。
 それではと思い、触ろうとお雛様に近づきましたが、なんだか悪い気がしてきました。もっと人間的ではない姿形のものだったら気楽にできるでしょうに。それでも一応一さすりずつ、お内裏様とお雛様、させていただきました。
 一月二月と、ちょっとばかりのアンラッキーがあったので、これで少しは上向いてくるかな。



 曇空の朝の散歩。日差しが目に入らないといういいこともある。


 ほったらかしの畑もどきといった土地に、白梅が一本満開の花を咲かせていた。それほど大きくはないが、横への広がりがある梅だった。

 曇空の下で、白梅は美しく見えた。


 折り返して帰りの道には、街路樹の足元に水仙が何本も咲いていた。真ん中が黄色くて白い花びら。
 こちらは同じ白い花でもなんとなく寂しげ。
 一番美しく見える時期を少し越してしまったのかもしれない。
 小学生低学年の頃、ギリシア神話の絵本で、ナルシッソスの物語を読んだ。湖面に映る己の美しさに見惚れつづけたあげく、水仙になってしまったナルシッソス。
 あの話が頭の中にあるから、水仙はなんとなく悲しげに、とくに曇空のしたであると余計に、見えるのかもしれない。


 ナルシッソスは湖面とうのが神話だなと思いながら鏡を取り出して自分を見たら、鼻の下に白いけばけばが生えていた。
 鼻風邪がなかなか治らなくて毎日鼻をかみまくっているからだ。風邪はその内治るだろうが、もう花粉症の季節が始まっている。けばけばは当分続くだろう。冬は手に、春は鼻下にワセリンが欠かせない。

 自分を見つめて花になるなんて物語は、わたしのところでは絶対以上にうまれない。




 
 


 塾講師の林修 氏と、ジ・アルフィーの高見沢は似ていると思う。

朝のテレビ体操を画面のお姉さん達と一緒に行った後、そのまま見ていたらNHK俳句が始まった。今回のお題は“桜餅”らしい。
作句のポイントは俳句全体の大きさと桜餅に感じられる穏やかさや平和的こじんまり感の対比のようである。

それはさておき、わたしは桜餅が好きだなと思いつく。桜餅に特別な思い出も無いのだけど。しいて挙げれば、昔の職場で春の行事の終わった後に出される茶菓子が桜餅だったなあというくらい。あ、もう一つそう言えば、庭仕事の手伝いをしたあるお宅で幾種類かの和菓子を出してくれた時、草餅・大福・ねりきりと目移りしつつ私が選んだのは桜餅だったと覚えている。

ピンクに色付けされた餅米を潰したあれは関西風?で、桜の葉がイミテーションでなくちゃんと香りがして食べられるものが私の好きな桜餅だ。

和菓子は好きだが自ら買いに行くことはめったに無い。この春は忘れなかったら、美味しいお茶とともに、桜餅でも春を愉しもうかとテレビ俳句で思わされた。

プロフィール

isoginchaku

Author:isoginchaku
名古屋市緑区在住。たった一人の弁当屋。
只今休業中。

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