スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

エチケット


  
三日やったらやめられない三日やったらやめられない
(1998/11)
篠田 節子

商品詳細を見る


 篠田節子の本は、『女たちのジハード』しか読んだことがないが、それは面白く読んだと記憶している。

 この本は作者初のエッセイ集で、『女たち・・・』で直木賞を取った翌年に出されたから、時代的にはちょこっと昔になる。


 新聞や雑誌などに載せたものが集まっているので、一つの話は短くてどんどん読める。あまり興味のないところは飛ばしちゃってどんどん読める。

 篠田節子はホラー作家だったと、初めて知った。『女たち・・・』はまったくホラーではなく、気持ちのよい話だったから。

 
 今、半分を過ぎたところまで読んだが、「へえ」とか「なるほどな」と思ったりする所もある。

 最初の方に載っている『袖振り合うも・・・・・・・』というエッセイには、こんなことが書かれていた。


 作者が友人のパーティに呼ばれて行ったのだが、そのパーティの主役である友人の他には、ゲストの中に知り合いがいない。一人ぽつりと立っていると、見知らぬ紳士に声をかけられ、彼の友人や娘を次々と紹介され、楽しいおしゃべりが始まった。
 紳士が教えてくれたことには、パーティでは見ず知らずの人と話すのが基本、仲間うちで固まっているのはルール違反である。会場を見渡して、一人で立っている人をみつけたら、近づいて挨拶し、自己紹介をする。 ・・・・・

 
 交友関係のきわめて乏しい自分には、「パーティでのエチケット」など現在も今後もほとんどまったく関係のない話ではあるが、ちゃんと覚えておこう、とひとり思う。

 けっこう沢山の人の中にいて過ごしたり、働いていた時期を振り返ると、外国の人は大概こういうことはスマートに出来るものだと思う。
 カナダにいたとき、あんまり親しくないもしくは初対面の人たちとのパーティに入ったことが何回かある。もちろん日本人はワタシだけ。でも、どのときも、誰かがワタシの話し相手をしてくれた。かなり拙い英語しか喋れないワタシの話を聞いてくれて、ワタシはワタシでその人の言っていること全部はわからないからとにかく笑顔、そして相手の顔をとりあえず見ていようと思って、傍からはリラックスしているように見られていたかもしれないが、かなり一生懸命だった。

 ああ、いい思い出だ。


 外国の人が(ワタシが知る範囲の)、数人の小さなものから大きなものまでよくパーティをするのは、こういうエチケットが普通に身についているから、招く方も招かれる方も気楽に呼び、呼ばれることができるのだろう。


 いや、イマドキの日本人も、交友関係がないワタシが知らないだけで、こんなこと普通になっているのかもしれない。


 
スポンサーサイト

茄子の味噌汁

 子は好きだが、茄子の味噌汁は好きでない。

 「茄子の味噌汁は好きでない」と人にも言うほど、好みではない。

 
 それが、何故だか判らぬが「茄子の味噌汁作ろ」という気分になり、作ってみた。

 まあ、茄子が冷蔵庫に何本かあり、焼き茄子、漬物、煮物、マリネと一通り簡単にできるものを作ってしまったので、そんな気分になってしまったのだと思う。


 いざ作り始めて、自分は茄子の味噌汁の何が気に入らないのだったか・・・と、苦手な理由がパッと思い浮かばなかった。

 うーん。多分あのふにゃっとした歯応えと、くすんだ色ではなかったか・・・

 なにしろ、もう何年も茄子の味噌汁を食べた記憶がない。


 出汁は椎茸と昆布のが少し残っていたので、それと、お手軽粉末いりこだし。

 いりこの成体?を買ってきて、上手にだしが取れた試がない。けれども、いりこはワタシの身体によいだろうというわけで、原材料がイワシ,真こんぶ,椎茸のブレンドの粉末を使っている。

 だしが沸いたところに、厚揚げの余っていたのと、茄子を縦じまにしてから半月に切ったもの、そして生姜の千切りを入れる。

 生姜は、気分だ。入れてみよ、という気分になったから。

 しかしこの飛び入り参加的な生姜が、よい効果を発揮してくれた。

 いりこだしは、それほど沢山入れなくても、やっぱり魚の臭みのようなものを感じることがある。

 その加減が難しくて、ちょっとの差で、「ああ美味しい」と「ううん・・ちょっとねえ・・」に分かれてしまうのだ。

 今回は、茄子の味噌汁ということで気持ちも空ろだったのか、けっこう多目のいりこ粉末を入れてしまった。

 のだが、この生姜を入れることによって、魚の臭みはまったく感じられず、しかもなんとなく甘みを感じる味噌汁が出来上がった。(味噌は辛めの赤味噌を中心に入れたので、味噌の甘味ではないと思う)

 そして肝心の茄子であるが、何年ぶりに食べてみて、苦手な理由がわかった。

 やっぱり歯応えだった。だけど、柔らかいふにゃが嫌なのではなく、皮の部分が歯にきしむからだった。

 よく茄子の漬物が苦手な人の理由が、この”きしみ”にあるらしいが、ワタシは漬物は大丈夫なのに、味噌汁はなぜだが変に気になる。「あ、やだ」という感じに。


 夏場は一度に多目の味噌汁を作って、冷蔵庫に冷やしておき、二度目からは冷えた味噌汁を飲む。

 今回もたくさん作っちゃったので、「あ、やだ」をこの後何回か味わわないといけないのである。


 しかし今度作るときは、皮を全部剥いちゃって、煮てみようとも思っている。

 見た目がちょっと「やだ」になるかも。。。

 


 

ツァラトゥストラ

 クツクボウシが鳴きはじめた。


 咲き始めの早かったであろうムクゲの木は、すべての花を落としてしまった。

 その隣にまだ濃い緑の葉だけを見せる金木犀に、あの甘い香りの季節を思ったりする。


 そんな時に、ワタシが読んでいるのはこれ。

  
ツァラトゥストラ〈上〉 (光文社古典新訳文庫)ツァラトゥストラ〈上〉 (光文社古典新訳文庫)
(2010/11/11)
フリードリヒ ニーチェ

商品詳細を見る


 
 先日珍しくなんとなく考えていることがあり、その日の夜に見た教育テレビでニーチェのツァラトゥストラの読み解きをやっていた。

 その話がちょうど自分が考えていたこととちょっとばかしリンクすることがあって、さっそく借りてきたというわけだ。(季節とは何の関係もないというわけ)


 しかし、この本を読むのは初めてではない。

 何十年前に師匠と出合ったばかりのときに、「これを音読せよ」と言われ、師匠のお宅の横を流れる小川に足を浸しながら、いっぱいの緑とせせらぎの音の中、一人音読したのだった。

 冒頭の部分だけであったが。 
 
 そんな思い出深い本でもある。


 しかし、あの小川音読のときも「わけがわからない」という感じだったが、歳とった今読んでも、それがあまり変わらないのが残念だ。

 読んでると、気が遠くなるというより、頭が遠くなるという感じ。ニーチェの比喩攻撃についてゆけない。

 でも、読むのが苦痛ではない。脳みそ遠くしながら、つらつら読んでしまう。

 ちょっと分かりそうな所は、ゆっくり読んでみたりするのだが、ちょっと行くとまた比喩比喩。

 ワタシの弱小頭脳と、未熟な精神では、理解するのがもう大変。というか、わからない。

 これで大人だといえるのか。


 しかしこの、ツァラトゥストラという名前自体変わっていて、なんか意味ありげだけど・・・と思っていたら、それはペルシア人の名前だということはわかった。


 時間を空けてであるがもうけっこう読んでいる気がするのだが、まだ半分行くかいかないか。

 字が多いわけではないのに。不思議だ。
 
 

最期まで

器と煮物+001_convert_20110819072726

  
 食べ物に関わり、興味も持ちながら、よい器を持っていないのが私の弱点でもあります。


     器と煮物+002_convert_20110819072753


 そんな中で、 この明るくて可愛らしい花柄の器は、思い出のあるもので、出来れば死ぬまで使っていたいとおもうものです。

 もう何年も前になりますが、カナダでファームステイをしながら旅していたときに、ある農家の方からいただいたものなのです。ホストマザーの友達の陶芸家の女性が作ったもの。彼女はすごく優しい雰囲気のおば様でした。
                         

 よい器も持っていませんが、私の所有する食器は数少ないので、この花柄もたびたび食卓に登場します。


    器と煮物+003_convert_20110819072832

 今日は、がんもと野菜の煮物を入れました。

 直径9cm、高さ6cm。煮物を入れるのは、高さのないもののほうが適している気もしますが、まあ一人分の量にはちょうどよいサイズです。

 薄味の煮物が美味しい。


 花柄には、豆乳プリンを作って、そのたっぷりの量を愉しんだりします。

 また、豆のサラダなどは、色合いもよくて合います。

 たまにご飯をよそったりもしてしまいますが、器の厚みがけっこうあるので正直向きません。口に当てるのはだめです。

 けれどもこの厚みなら、ちょっと落としてしまっても割れなさそうです。


     器と煮物+004_convert_20110819072859

     ゆっくり食べる朝ごはんです。


 
 
   

涼しい夕方に。。。


  日の夕立は、とてもありがたかった。


  早い夕食を済ませちょうど本を読んでいるときで、つけていた扇風機も消しても、外から吹き込む風に気持ちよいくらいだった。

  雷もゴロゴロなって、まだ明るさの残る雲の多い空に稲光がしていた。

  しばらくボーっと、その景色を見る。


  稲光を見ると、むかし中学生の頃に教室から見た稲光を思い出す。

  それはかなり大きな雷で、ものすごい音とともに、紫色の稲光が教室の窓をワイド画面にして、何本も縦に走った。

  稲光というと、決まってその場面を思い出す。


  子どもの頃から、台風は怖さよりも「わくわく」というような気持ちが働いたけど、雷は素直に「こわい」と思う。

  台風の被害より、雷が落ちることの方が確立としては低いのに。

  大きな音やピカッという閃光に、なんでもない顔をしながらワタシのおしりは、すぼまり加減だ。

うちのトマト



  家のベランダで摂れたミニトマト。

  色はよいが、これがすごく小さい。

  ミニトマトと中玉トマト一苗づつ今年は植えたのだが、水のやり方が足りなかったかどちらもダメだった。

  トマトは水が少ないくらいがいい、そうすると甘いトマトができると聞いていたから夕方一回水をあげていたのだが、この暑さの中ではトマトはもっと水が欲しかったのだろう。

  中玉のほうは、花はついたものの、結局一つも収穫に至らなかった。枯れてしまった。

  残念だし申し訳なく思う。


  小さいながらもいくつか食べられる実になってくれたミニトマトは、皮も硬い。

  皮が硬いのは、出来のよかった去年のミニトマトもそうだった。

 
  そのままでも食べられるが、小粒ちゃんでもあるので、ドライトマトにするつもりだ。

  

       mini+tomato+002_convert_20110817073943.jpg

何がいいのか。

玄米ごはん+001_convert_20110813061213


 今日炊いた玄米は、ぱさぱさでなかった代わりに、「べちゃ」になった。

 炊く前に米をじっと見つめて水分量を決めたつもりだが、やはりまだまだ修行が足りぬ。


 食物の栄養のことが書いてある本をいろいろと読んでいる。

 食物栄養素の基本的なことが書いてあるものから、食養の本や、「健康なお肌を手に入れるための食べ方」といったものも。

 それぞれに、こういう食べ物がよいと書かれているものが違って、考える所だが、とにかく間違いなくよいのは、「身体を温める食べ物を摂る」ということと、「楽しく美味しく食べる」ということ。

 「身体を温める」というのはよく知られたことだ。生姜やにんにく、根菜などなど。。。

 「楽しく美味しく」というのは、例えばカツ丼なんかはカロリーも高いし身体によい食べ物とは考えられない。

 けれど、それを「ああ旨いなあ、うれしいなあ、幸せだなあ」と思って食べると、その食物としてよくない所もカバーして、身体に(脳みそにも)よいふうに働くというのだ。


 例えば簡単に済ませてしまうバナナの昼食も、「ああ、熟れ加減もよくておいしいなあ」と思って食べる自分はだいたい合格である。

 


 

玄米ご飯

  
  弁当屋は夏休みなので、自分だけしか食べないご飯を玄米にした。


  玄米ご飯には、野菜のおかずが合うというが、確かにそうだと思う。

  もともと野菜中心の食生活だけど、白いご飯より、素朴な野菜のおかずがしっくり合う気がする。

  冷えた玄米ご飯に、切った数種類の野菜やナッツ、レーズンなどをまぜて、ライスサラダみたいにしてもおいしい。

  残り飯は、白ご飯ならチャーハンにするところだが、火を使わないライスサラダは暑い夏にありがたくもある。


  しかし問題は、玄米ご飯がいまひとつ上手く炊けないということだ。

  ジャーでやっても、鍋で炊いてみても、なんとなくパサッとっした感じにできてしまう。

  玄米を出しているお店のご飯は「もっちりとしておいしい」などと聞く。

  浸水時間を長めにとり、水の量も多目にしているが、まだまだどうも。。。


  先日マクロビ特集の雑誌を読んでいた。

  その中に新しくお店を出した店主の話が出ていて、その人は店員を採用するときに「玄米を美味しく炊ける人がいい」ということで応募者に玄米ご飯を炊いてきてもらい、そのご飯が美味しかった人を採用したということだった。

  「そうしたらお店に合う、素材に丁寧に向き合ってくれる希望通りのスタッフが集まりました」

  と、その店主の談。


  これを読んで、ワタシはくやしくなった。

  そのお店は、どっか遠くのお店だし、載っていた本は新しくはなくつまりもうオープンして何年かなる店だし、そこで働きたいわけでもないのに、「自分は美味しく炊けないから、この人に採用してはもらえない」と思って、とてもくやしくなったのだ。

  世間の事我関せずゆらゆらただようイソギンチャクであるのに、ワタシはなかなかに負けず嫌いだ。


  同じ頃に読んでいた田口ランディの本には、人を生きる気持ちにさせるおむすびを作る佐藤初女さんの話が出てきた。

  佐藤さんは、「お米が欲しがっている量の水を注ぐ」というのだ。

  そういえば、師匠のお母さんはやはりご飯をとても美味しく炊くらしく、やっぱり「だいたいこのくらいかなあ」というふうにして、ジャーの目盛りや計量カップには頼っていないそうだ。

  お米だけでなく、食材に向かうときの自分は、まだまだホントに弱い。まだまだダメダメだ。


  とりあえず玄米美味しく炊きたいものだ。

    
ハーモニーの幸せハーモニーの幸せ
(2002/08)
田口 ランディ

商品詳細を見る


  

 
  

きづき

 秋を過ぎて、昨夜は寝ながら秋の虫の声が聴こえてきた。


 今朝の散歩でも、チリチリチリチリ・・・、とか、ヒョロロロ・・・というような声が草むらから聴こえてきた。

 そうして今日は何故か、小鳥のさえずりもよく聴いた気がする。
 
 猛暑続きの街中であるが、進む季節の声が聴こえるのは小さなたのしさ。


 今これを書いている朝6時20分、外から聞こえてくるのはシワシワシワ・・・という蝉の鳴き声ばかり。

 ワタシは今朝思ったのだけど、蝉というのは、自分に陽が当たると鳴き出すのではないだろうか。

 歩きながら蝉の声が響いてくる木々を見ていてそう思ったんだけど、違うかな。


 毎年夏バテ知らず、食欲旺盛だが、実りの秋、食欲の秋がやってくるなあ。

のこりものから 2

  

 鶏レバーのウスターソース煮の残り汁を使ってつくったオカラ。

 具は、師匠作の無農薬ピーマン、しし唐、玉葱、買ったパプリカ、とうもろこし、ひじきなど。

 こないだ読んだ本に、おからを牛乳で炊くとコクが出ると書いてあったので、やってみる。

 砂糖やみりんは使ってないが、ソースに入っている糖分や、牛乳、野菜から出た甘みを感じる。

 しょうゆ味でなく、ソース味?のオカラ。そんなにソースソースはしてなかったけどね。


    okara+chagara+002_convert_20110810062600.jpg
 
  こっちも残り物からできた。

  ホントに残り物だらけ。

  お茶ガラ、茄子の皮、煮物の煮汁、ちょっとだけ残っていた葱。

  油で炒めてから煮つめただけ。

  ご飯によく合います。
  


 

珍味の話


 
ごくらくちんみごくらくちんみ
(2004/09/29)
杉浦 日向子

商品詳細を見る


 食べ物のことが書いてある本はやっぱり好きで、著者の杉浦日向子さんの文章もさっぱりしていていいので借りた。


 杉浦さんのことを知ったのは、NHKテレビで昔江戸の町民の生活なんかを面白芝居仕立てでやっている番組だった。

 そこで解説者みたいな感じで出ていたのだが、まずそのお顔を見て、やんわりした気のいい妖怪みたいだな、と思ったものだった。解説は分かりやすくていい感じだとおもった。

 本も何冊も出されていると知ったのは、けっこう最近のことだ。


 この本には様々な珍味の話が載っている。
 
 一つの珍味の話がだいたい800字くらいで書かれている。短い文章で、それが酒肴、男女の話になっているので軽く読めてしまう。
 ワタシはお酒のことはあまり知らないし、呑むほうでもないが、肴である珍味の話とともに、酒についての描写もとても興味をそそられながら読んでいる。


 からすみ、さなぎ、また旅、草や、にがうるか、ばくらい・・・・

 食べたことがある珍味、名前と噂だけ聞いたことのある珍味、まったく知らなかった珍味。いろいろ。

 「とうふよう」なんかは、たしか高校生くらいのときに口にしたことがある。母の友人の沖縄土産だった。

 赤くてどろどろした見た目は、食べたい気持ちをあまりそそられるものではなかったが、「これは高級なものだよ。簡単に食べれんよ」と母に言われて、ちょっとだけつまんでみた。

 「ぐわっ」と、ワタシは入ったような気がする。味や風味の詳細はじつのところ思えていないのだが、とにかくこれは子どもの食べるものではないということだけは分かった。二度食べたいとは思わなかった。

 「とうふよう」 陰干しした沖縄豆腐を、泡盛と紅麹の汁に数ヶ月漬けて熟成させる。チーズと練りウニの風味。

 ・・・と、この本に説明がある。あの固い母が、高校生のワタシに、よく食べさせてくれたと思う。

 このとうふようを女性が酒と一緒につまむ時の描写。

 アイコは、つまようじでサイコロの角を飯粒大に削って口へ含んだ。舌を太らせると、上顎へ、ぬっとなめらかに溶けてやわらかく消えてゆく。その余韻が、口中にひろがるところへ、カシャカシャとグラスをゆすって、ロックの泡盛を流しこむ。味らいの溝に、わずかにのこっていたクリームが、一気に浮き上がって渾然となり、上等な酒に早変わりして喉をすべりおちていく。

 とうふようの魅力を知っていなくても、泡盛を飲んだ事がなくても、その感じを酔ったように想像してしまう。

 書き方も上手だなあと思うし、杉浦さんは生前お酒を愉しんでいたんだなあと思う。


 暑い夏の夜にも、楽しく読める本だ。

 方のひと時だけが、ひんやりした空気を感じられ気持ちよくなれる時間。


  今朝も歩く。

  車通りの少ない短い横断歩道を通るとき、一羽のすずめがワタシの前に現れた。

  そして、ぴょんぴょんとまるで誘うようにしばらくワタシの前を飛んでいた。

  このすずめはワタシをどこに誘っているのでしょう。

  小さなこの可愛らしい生き物は天使か悪魔か・・・・


  などと考えて、ああワタシの頭の中は相変わらずずいぶんとヒマなものだ、と思う。


  車通りの多い大きな横断歩道を通るとき、向かってくる車を確認しようと顔を横に向けたら、先の交差点にある青カンが目に入った。
  書かれてある地名は少し先のものだったが、青カンの青さが今日は刺激した。

  「どこか旅に行きたい」

  日頃の生活に何のストレスもないが、いつもいる場所から離れてみたい、違う場所の空気を吸ってみたいという気持ちは、歳を取ってもワタシの中からなかなか消えないものである。


   

  晩ごはんに食べたジャガイモ。

  左の黄色いのは豊橋の親戚の作ったの。
  右の白っぽいのは師匠作。

  どちらも男爵と聞いている。色味はずいぶん違うが美味しさは甲乙つけがたくどちらもうまい。

  蒸かしたジャガイモずいぶん久しぶりに食べたが、ジャガイモってこんな味だったかと、再確認。

  塩も何も付けなくても美味しかった。


  こんなに美味しい野菜を食べられるしあわせ。

もったいないからできるもの

   


  煮物や炒め煮、南蛮漬けなどをした時、煮汁が残ります。

  具を食べ終わったとき、ワタシはそれが捨てられません。

  野菜や肉などの旨味の染み出た煮汁。

  それが少量であっても、タッパに入れてとりあえず取っておくのです。


  ほんの少しの場合は、炒め物に入れてしまったりご飯にかけちゃうこともあります。

  写真のおかずはゴーヤとお豆腐、玉葱、ミニトマトを炒めたものですが、この味付けは鶏の梅醤油蒸しから出たお汁大匙3杯です。鶏、梅、葱、酒などから出たお汁でした。これに塩コショウと鰹節を少々追加しました。さっぱり。やさしめの味。

  煮汁の残りが多いときは、一番いいのはやっぱりおからです。

  昨日作った炒めナスのお浸しからお汁が出ました。

  おからは人参や椎茸が定番ですが、先日庭仕事の時にセロリ師匠が師匠作の無農薬有機栽培ピーマン、しし唐をどっさりくれました。

 なのでおからの夏バージョン。ピーマンしし唐入りおからを作ってみたいと思っています。

昔の人の話

  
幸田文対話幸田文対話
(1997/03/07)
幸田 文

商品詳細を見る


 
 対談の本は好きなので借りて読むことも多いです。

 幸田文の書いた本は、『台所の音』、『弟』くらいしか読んだ事がありません。

 父親の幸田露伴なんか、読んだ記憶がない。

 
 幸田文は明治37年生まれで、もう亡くなっていますが、この本の中の対話相手も古い人たちで、それが興味を引いたので借りました。(ワタシの興味がとくに引かれたのは、江戸川乱歩,志賀直哉,辻嘉一,美輪明宏(当時は丸山)など)

 まだ三分の一も読んでいませんが、面白いなあと思ったのは辻嘉一との対話。

 辻嘉一は料理人だと思っていたが、この本には料理研究家と書かれていた。そして、父の露伴から掃除や料理など家の様々な仕事を厳しく仕込まれた幸田文。

 二人の会話の中での、幸田文の発言のひとつ。

  「(前略)しかしたべるものというのは、大変しんけんなんでございますよ。結局、うまいものとは、いい気持ちになるということでございますね。忙しまぎれに足の裏のような手をした人の料理は、どんなにおいしいもの出てきてもいやだ。」


 足の裏のような手・・・・


 また、この対話の中で使われる言葉遣いが、今時聞かれない「なんでございますね」とか「さようで」とか、普通に丁寧で、それがまた新鮮です。



                                110731_1751_01.jpg

    本に挟まれていた栞代わりのおてもと袋

やっぱり今日も

  野菜カレーなど+001_convert_20110801141321


 やっぱり今日も野菜づくしだ。

 今日はまず野菜カレー。

 ここに入っている玉葱、茄子、ピーマン、南瓜、モロヘイヤみんな、農協の朝市で買ったもの。

 付け合せとして、胡瓜のピクルス、キャベツのサブジ、トマトのバジルサラダ。

 胡瓜もトマトも朝市のだから、この辺で育ったもの。新鮮でもある。

 付け合せたちは、こないだ読んだ本のレシピを参考に作ってみた。

   
ヨーガンレールの社員食堂 野菜でつくる一皿料理ヨーガンレールの社員食堂 野菜でつくる一皿料理
(2010/12/14)
佐藤 雅子

商品詳細を見る


 沖縄にあるヨーガンレールの社員食堂では、自家農園で取れる野菜と信頼できるお店から購入する野菜、卵、乳製品、そして質のよい調味料や油を使って料理が作られている。魚、肉、砂糖は摂らないそうだ。

 自家農園、ワタシの憧れ。

 美味しい素材に美味しい料理、心地良さそうな食堂。こんな所で働けたら気持ちいいだろな。


 作った野菜カレー、かなり汁っぽい。

 野菜クズからとったスープとココナツミルクを使った。味付けは家にある2,3種類のスパイスとカレー粉、塩はちょっと少なかったかなというくらいの量。

 けれども唐辛子やスパイスの効果で、塩分が少なくても美味しく食べられた。

 先日母が送ってくれた市販のカレールウも出番なしに終わる。

  
     野菜カレーなど+003_convert_20110801141352

  これは朝市で買った黄ウリを焼いて、バルサミコ酢やママレードやチーズ、ドライトマトなどを載せたもの。

  この黄ウリも朝市。朝市売り人メンバーの中で、かなり押しの強くないおじちゃんが「黄ウリはどう?」と言ってきたので、買った。
 見た感じからあまり美味しそうな雰囲気ではなかったし、おじちゃんも自分で勧めたくせに「あんまりあまくない」と言う。
 ちょっと迷ったが、押しの弱いおじちゃんが珍しく勧めてきたのだしと思って買ってしまった。

 ほんとに甘みはなかった。これは半分野菜だ。だからこうして焼いて、塩コショウなんかして食べてみたのだけど。

 まずいというよりワケが分からない、といったものになっていた・・・。


 実験も必要!!

 

血をつくる

  野菜カレーなど+002_convert_20110801141247


 血色をよくしようと、レバーを食べることにした。

 久しぶりに食べる肉。

 買ってきた350gほどの鶏レバーは、ウスターソース煮(写真奥)と酒蒸ししてピリ辛生姜醤油をつける、という2品に落ち着いた。

 どちらも柔らかくしっとりと出来上がり、味もよかった。これで血もできる!

 ・・・が、肉を下処理するときに気持ちがやや落ちこむ。

 ワタシは肉や魚を切るときに血を見るのは平気なのだが、管などがあると少なからず「ああ・・・」と気持ちが引けてしまったりする。

 そうして、「なるべく血を見ないものを食べるようにしようかな」などと思ったりするのだが、かと言って菜食主義者にはなかなかなれない。なるつもりも今の所はない。

 日頃一人でご飯を食べるときは菜食でも十分いけると思うが、自分の思い出の中にある料理あれこれを思い出すと、主義者にはなれないのだ。

 いつか連れて行ってもらった爺さん婆さん二人でやっている汚いような一杯飲み屋兼定食屋。
 ひからびたようなお爺さんの挙げてくれた一枚50円のアジフライ。

 死ぬまでにもう一度泊まってみたいと思っている東北の旅館で出されたさば寿司。

 汗をたらたら流しながら走り回るように働いていた女将さんがいる民宿の刺身や天麩羅。

 友達の家に泊まった時にそこのお母さんが連れて行ってくれた喫茶店の手作りピザやおっきなシュークリーム。

 実家に帰ると母が出してくれる焼き魚。


 「美味しい」ということだけでなく、そこにまつわる楽しい思い出や出会った人の顔や声なんかと共に、間違いなく情の薄いワタシのようなものの中にも、忘れられずに残っているのだ。

 そういうのを味わえなくなるのは、つまらない。


 

 

 

プロフィール

isoginchaku

Author:isoginchaku
名古屋市緑区在住。たった一人の弁当屋。
只今休業中。

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。