スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

気になる言葉づかい

 ちょっと前から気になる言葉。


 「・・・・・と思っていてぇ、・・・・」


 この「思っていてぇ」を使う人が近頃多いんじゃないか。

 何か語っている人がよく使う。

 年齢は関係なさそう。

 これを使う人は、一つの文章が長くなる傾向。


 ・・・ていうか、

 ・・・・みたいな、

 などなど、ハヤリのようになる言葉が次々と出てくるが、今ワタシは「思っていてぇ」が蔓延してきているのではないか、と思っていてぇ・・・・・
スポンサーサイト

好きな音

 チャランコロン という音が好きだと、今日気付いた。


 喫茶店のドアベルの音だ。


 喫茶店には特別な思いや思い出といったものは思いつかない。

 喫茶店に入ることはめったにないし、親にもその習慣はなかったので子どものころに連れて行ってもらったということもない。

 だけども今日、とある喫茶店の横を通り過ぎる時聞こえたドアベルの「チャラン コロン~」を聞いた時、ああ好きだなあと思っていることに気付いたのだ。

 何の思い出もないのになにか懐かしいような響きでもある。

 自分の家の玄関ドアに付けたら、毎日ちょっと嬉しいような気分になるだろうか。

。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。

 今日は老夫婦が連れ立って歩く姿を多く目にした。

 60代、70代、80代かと思われる夫婦がゆっくり歩いている。

 朝のウォーキングタイムはともかく、今まで買い物に行く時間にこんなに夫婦連れが歩いていることあったっけ。

 これも”きづな現象”の現われかもしれない。

 

クリントとケン

 リント・イーストウッドは、なんともう81歳だった。


 雑誌に大きく載っているイーストウッドの顔、とてもいい。

 素敵だと思う人と訊かれて出てくる名前の一つに間違いなく入る人だ。

 イーストウッドは言っている。

 「人生はギフトだ」

 そうか、ギフトか。


 人生を軽く見ていると言われるようなワタシでも、イーストウッドが言っていると思うと、僅かながらもその言葉に心を留めてしまう。


 きっと尊敬もできる人であろうイーストウッドだが、その友人である渡辺謙は、何故か近頃だんだんとバカっぽく見える。演技は見てないから知らないが、喋っている感じが。

 しかし今日のラジオニュースで、渡辺謙と小山薫堂が『きずな311』というHPを立ち上げ、知り合いの有名人達も参加して被災者を励ます取り組みを始めたとのことだった。

 その知り合いの中にはもちろん、イーストウッドの名前も出た。

 渡辺謙は宮沢賢治の『アメニモマケズ』の朗読をしているそうだ。

 それを見てみようと思う気持ちはワタシにはわいて来ないが、被災者の人の仲には勇気づけられる人が少なくないように思う。

 渡辺謙には人の心や世の中を動かすような力があるんだよな。ワタシがバカっぽいと言っていてもね。


 

 世間の出来事には今までかなり無関心だったと思うが、今回の大災害が起こって、意識しなくても考えてしまうことがある。


 被災地でガソリンがなくて、徹夜してGSに並んだ車の行列が3キロにもなったという話。

 震災から一週間以上経っても、一日にバナナ一本と水がコップ一杯しか配給されないという人の話。

 そんなニュースを聞いた日に、近所の飲食店にはケーキ付きのランチセットに並ぶ行列を見た。


 ランチに並ぶことに嫌悪感を抱くとか言うことは全くない。1400円のランチを食べることはすごい贅沢なんかではないし、平和な場所の人たちが平和にしているのはいい。辛い人たちのことを思いつめて日本人皆が鬱病のようになってしまったらそれこそ大変だ。
 
 けれども、バナナ一本は遠いアフリカのことでなく、同じ日本の中のことなんだよなあ、と思う。


 ほぼ自由業なので、腹が減ったらいつでも何かつまめるのだが、たまに「ちょっと我慢しよ」と思って空腹のままでいることがある。

 震災の翌々日くらいにそのような状況になったとき、ふと思った。

 この空腹のままでいるときにここで大地震が来たらどうなるだろう、と。

 そして思った。被災した人たちの中には、これからだんだんと落ち着いた生活に戻っていっても、空腹感というものに危機感を覚えてしまうということが起こってしまうのかもしれないなあ、と。

 また、大地震の余震というのは、小さいものも入れると1年くらい続くこともあるそうだ。揺れるたびに不安になって気がおかしくなってしまう人はいないだろうか。

 そういった神経症や恐怖症のようなものは、今回の震災のニュースが大きく取り上げられなくなった頃になってもきっと誰かを苦しめているのだな。


 外でちいさい赤ちゃんを見ると、ああ瑞々しい命だなあと思う自分がいる。今まで特別なんとも思わなかったのに。
 瑞々しいものはいい。

 すると、赤ちゃんを抱えている父親や母親も必要な人なのだよな。

 そうやって考えていくと、ワタシというものはこの世にかなり必要ない。

 そう母に話すと、「何言っとるの。国のために生きて働かんといかん!」ときた。

 国のため、ネエ。


 しかし、また思うことに、今回のことで”きずな”というものが人々の中にかなり意識されたんではないか。

 だからこれから結婚する人や、子どもを持とうとする人が増えるんじゃないかな。



 風呂に入るたび、布団に入って眠るときに、「ありがたい」と頭の中でつぶやく。



 こぶしの花が可愛らしくぽんぽんと咲き始めた。

 桜の蕾もピンク色にふくらんでいる。

 北の人たちがもう少し先に開くだろう春の花を愛でることが少しでもできればいいなと思う。

 
 

 まい具合に雨も止んだので、今日も歩いて買い物。


 そしたら、もう、沈丁花が咲いていたので、あっ、と声を上げてしまった。

 3月始め、こんな時季に咲くのだったっけ。

 視線を前にやると、木蓮の蕾も大きく膨らんで、もう咲くか咲くかという雰囲気だ。

 花咲乱れる季節。気もふれる季節。

 紙一重などと言われるような天才肌の人物などはやはり、この時季その才能も活発になって勢いづくものなのだろうか。


 横尾忠則の本を読んでいる。

 すらすら読める、と師匠の推薦もあった本だ。

 一つの話がとても短いだけでなく、文章にいやみがなくて上手だから、ホントにスラスラ読める。

 もう70代半ばだけど、まだまだ製作活動を続けているのだろうか。


   
病の神様―横尾忠則の超・病気克服術病の神様―横尾忠則の超・病気克服術
(2006/04)
横尾 忠則

商品詳細を見る

工事のおじさん

 さしぶりに歩いた。


 買い物に行くコースの途中、道路を作る工事をしている。

 現場ではたくさんの人が働いている。

 重機に乗って地面を掘っている人、それを見ている兄さん、背広を着た管理職風の人、、、

 そこを通る度に、まるで大きなミニチュアを見ているような気になる。

 『働く人々』というタイトルの。もちろん自分も小人化しているのだ。

 そうやって見ると、けっこう楽しい。


 今日は何故か旗振りのおじさんが何人もいた。あんなに必要なのだろうかと思うが、おじさんたちに働ける場所を与えられたのだからいいことなのかな。

 一人のおじさんは、たいそう張り切って歩行者を誘導していた。

 旗振りの人が元気がいいのはよいものである。

 たまに、踊るように旗を振っている人がいるが、あれを見るとホントにウレシイような気分になる。


 で、今回の旗振りのおじさんは、ワタシが通るとき、

 「はい!こんにちはー!いらっしゃーい!」

 と叫んだ。


 いらっしゃいかあ、と思いながらワタシは頭を軽く下げて、おじさんの前を通り過ぎました。

 

 

満たされてない

 買い物がてら住宅街の中の車通りの少ない道を歩いていると、後ろから来た車がワタシの進行をさえぎるようにサアーっと寄ってきて駐車した。

 運転手は、きれいな水色のセーターを着た60歳前後と思われる主婦。こちらをまったく見ていない様子。

 立ち止まらされた瞬間、その綺麗に洗車してある赤いTANTOのケツを思い切り蹴っ飛ばしたい衝動に駆られた。


 日頃は交通マナーの悪い人を見るとたいがい、「バカ」と小声であるいは頭の中で言っておしまいなのだが、今日のこの強く起こった衝動はなんなのだろうか。

 
 ワタシは何か満たされていないのではないか、と考える。

 心に余裕のある人は、こんなことで蹴っ飛ばしたくはならないだろう、と考える。

 なんだろうなあ、特に思い当たらないけどもなあ。

 花粉症が始まったためのイラつきからだろうか。


 などと考えながら歩いていたら、向こうから半分向こう側に行ってしまっているようなおじいさんがスーパーのビニル袋を提げながらふらふらと歩いてきた。

 おじいさんを見たら、ワタシの心は急に穏やかになった。

プロフィール

isoginchaku

Author:isoginchaku
名古屋市緑区在住。たった一人の弁当屋。
只今休業中。

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。